ヤマガラが夏からの枯れた実を、
折れた枝に隠し、
ゴジュウガラがそれを、かすめていった。
折れた枝に隠し、
ゴジュウガラがそれを、かすめていった。
全く悪い奴だ・・と、
テレビ、さわやか自然百景を見ながら、
今日が今年最後のブログにならなけば、
と思いながら、大掃除の峠を越えた満足に浸って・・・。
テレビ、さわやか自然百景を見ながら、
今日が今年最後のブログにならなけば、
と思いながら、大掃除の峠を越えた満足に浸って・・・。
家康公の正室築山殿の奥女中が、
家康公の2番目の子を、
築山殿に隠れて、そっと生んだ。
3歳で初めて家康公に会い、
10歳で、家康・秀吉の和解条件に、
秀吉公の養子になった・けど、
秀吉公に実子が生まれて、後、
下総国結城家に婿養子となった、
家康公の2番目の子を、
築山殿に隠れて、そっと生んだ。
3歳で初めて家康公に会い、
10歳で、家康・秀吉の和解条件に、
秀吉公の養子になった・けど、
秀吉公に実子が生まれて、後、
下総国結城家に婿養子となった、
家康、秀吉の跡取りになるはずの、
時代に翻弄された、結城秀康。
時代に翻弄された、結城秀康。
生んだ母の名は、徳川を陰で支えた、
於万の方。
於万の方。
62歳、女人禁制の山を、ばかばかしいと言って、
かくしゃくと、登った女傑。
かくしゃくと、登った女傑。
越前国北ノ庄藩初代藩主 となった、
秀康公が、自分の死後に江戸の地に
一寺を建立し自らの位牌所とせよ、
と、越前で臨終の間際の命で、
秀康公が、自分の死後に江戸の地に
一寺を建立し自らの位牌所とせよ、
と、越前で臨終の間際の命で、
開基した森厳寺・1608年
本堂には、家康公の位牌があるという。
ぶらり、夜の芝居を観る前の散歩です。
本堂には、家康公の位牌があるという。
ぶらり、夜の芝居を観る前の散歩です。
👇淡島堂。
1837年、江戸の女子・子に、
あらゆる後利益があるようにと、
医療と医薬の神を祀ってる。
あらゆる後利益があるようにと、
医療と医薬の神を祀ってる。
👇本堂
👇森厳寺の隣の北野八幡神社にも、
お参り、
お参り、
今夜見る芝居の役者は私より1歳年下、
芸にますます磨きがかかり、
来年の6月13日の国立劇場の閉鎖、
最後の舞台に立つ役者の健康を祈って👇
パン、パン、柏手。
芸にますます磨きがかかり、
来年の6月13日の国立劇場の閉鎖、
最後の舞台に立つ役者の健康を祈って👇
パン、パン、柏手。
世田谷区下北沢、
南口には古着屋があっちこっち、
40年前とは、
ガラリ町の様子が変わってたけど、
奇抜に近代化されない町、
南口には古着屋があっちこっち、
40年前とは、
ガラリ町の様子が変わってたけど、
奇抜に近代化されない町、
行き交う若者の、洒落た服装にも、
目にも、輝きがあって、河童キョロキョロ‼
目にも、輝きがあって、河童キョロキョロ‼
いい天気、外出日和なのですが
出かけてはいけないでしょうか
気張って貴重な日曜日、
掃除の・・残り・・
気張って貴重な日曜日、
掃除の・・残り・・
です・・ウン‼
落ち着いて、しっかりとお散歩出来た下北沢界隈。
徳川家康公の建立した森厳寺。
色々な歴史の流れの中で、しっかり残したお寺。
下北沢にも有ったのですね。
北野八幡神社も立派ですね。
淡島堂も素晴らしい。次世代に立派なものを残しての一生。徳川15代にわたる世の中で、日本のあちこちで見る事の出来る歴史。
とよ様の写真で目が覚めます。(*^^*)
昔、この辺りは都心でも、田んぼに雑で吹きさらしの多い家屋で、病気も多かったでしょうね、
治療所になってた、淡島堂住んでた人の生きる支えになってたでしょう。
思いがけない、森厳寺の歴史でした。