春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

ルーシー・バニング・ロッス !

2016-05-06 20:50:47 | 節三・Memo
こんばんは。
今日は海の見える鎌倉まで!

※貧血引き起こす、肝炎ウィルスをKО!する武器から
解放される日が刻々と近く・・・
そうなったら・・そうなったらと・虎視眈々と準備に狙いを定めて・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


The Pursuit of Lucy Banning
  (Avenue of Dreams)
ルーシー・バニング思いのままに
    (夢を追って)  
    ※(仮題・toyo)


作者  アメリカの女流作家
    オリビア・ニューポート

2012年アメリカで出版された「ルーシー・バニング」の本ですが、
作者オリビア、ニューポートはFacebookも開設しており、
話題になっているよう・・・

「ルーシー・バニング」は色白、長身、柔道家の太田節三の妻となった、
北アメリカの資産家の娘で、スキャンダラスな面と羨望の的になっ女性だが、
この本は、シンデレラボーイ、太田節三のことはあまり書いていないようだ。
最も太田節三を知るためには、柔道以外の資料は、あまりにも無い訳で。

日本ではルーシーと節三を描いた2冊の本と、ブログで騒がれて、
その内容が結果、私にブログを開設させるきっかけになりました。

アメリカで最近、ルーシーが騒がれているという情報に、当初
日本人が書いた本がアメリカで翻訳され、読まれていると思った。
が、
「日本人の書いた本の出版の年月」と、
「最近出版された本」の年月の「差」
日本で書かれた本が、翻訳さた。
という情報は聞いたことはなく
情報の手違いかとおもっていた・・・・

散歩から帰ると、
机の上に メモ 「出版された本です」

最近出版された「本」の姿が見えた。
日本語の翻訳本はなく、困った!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで、下書きでした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鎌倉の収穫?
今日は
残念でした!

当初から難題です、と言いながら努力くださっている、
鎌倉図書館の皆様、ありがとうございます!

帰りは、濃い緑の木々に囲まれた「長谷寺」で一服でした。
又、明日、お会いします。

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3 コメント

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解説 (なつめろ)
2016-05-07 07:19:08
太田氏検索を始めた時「太田氏記述を見つけるにはルーシーさん関連を検索するのが早いんでは」と思い、検索すると米国のブログページでは太田氏の人物を伝わる記述がほとんど出てこない。先日お知らせしました2004年の米国ページ記事は、太田氏御自身のコメントも少し出てくるのです(太田氏について最も多く書かれている記述)それでも太田氏関連部分は少しなのです。そのページを訳してみると、ページを書かれたのは米国の方ですが「日本人が書いた原文をもとにページの記事を掲載」と出ています。なので、米国ブログページの「太田氏関連記述部分」は、日本人の書いた文章が元になっている、という意味なのです。ですから、太田氏の人物関連の書籍は米国で発売されてないと思います。早合点を"toyo"様なさったようですが、今も私は「太田氏・ルーシーさん」関連の検索を続けているのです。太田氏は1926年ロサンゼルスのオリンピア競技場での格闘技試合の対戦記録が一番よく出てきます。日本のneverページでは「1924年、サンテルとの試合が引き分け」という記述を見掛けますがその試合についての米国記述が出てきません。話題となった2冊の書籍を私は現在も読んでないですが、前田秀峯氏の書かれた「夢のなかに生きた男たち」を読まれた「来初音」さん2013年8月27日の読書感想コメント(読書メーターページ)は「太田節三は昭和37年土曜日、日本で不審死したらしい。P316 その処理は、久保田雄一氏がしたとのこと。太田が亡くなったことでM資金も消えた」という内容。2004年の米国ページによると太田氏は1951年帰国、或る日本ページでは「米国から戦後帰国の太田は裸同然だったが、セレブ(スター)を演じ続けなければならなかった」。
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追伸 (なつめろ)
2016-05-07 07:33:14
「米国でのほとんどのルーシー・バニング関連記事(ブログページ記事)での太田節三エピソード部分は、2004年の米国ページ引用」という意味なのです。2004年に掲載されている米国ページは、「日本人の原文を元に」と米国人ページ記述者が述べています。他の米国ページでは、太田氏のエピソードがほとんど出てきません。
返信する
Unknown (にいちゃん)
2016-05-08 08:39:24
太田節三氏関連でのいろんな方々のブログ記述は「林田民子エピソード」が掲載された書籍2冊が元になっていますし、米国ブログページのほとんどの記述も2004年の米国ページ「彼に夢中 気ままで金持ちなルーシー・バニング」が基本となってるようです。日本での「Wikipedia記述のブログ引用掲載」の傾向と似ています。実在人物Wikipediaや商業ベース発売書籍の記述を疑問視する人々が少ないと言えます=ブログ記事に書いていますが、Wikipediaは開設しようと思う人なら誰でも執筆できるらしいのです。そして、商業ベースではないWikipediaを商業ベース側の誰かが執筆しているらしく戦前戦後歌謡曲歌手のWikiは記述が混乱しています。商業ベースでないWikiでも、開設者による「参考文献の表記」を普通に見掛けます。ところが最近見掛けた或るWikiには、なんと私のブログ記事文章が丸写しで掲載され「参考文献ブログ名」は表記されてないのです。これは、Wikipedia開設者が商業ベースでないWikiを次々開設する一方「一般からのエピソードなどを集め、商業ベースに持ち込む思惑」がかなり以前からあったんではないか(と、推測)。なので、それらについてもブログ記事に私は書いているのです。ひとつには「Wikipediaだから詳しい」というイメージが一般的ですし、このごろは専門家であろうがなかろうが「肩書き」を名乗る人々がものすごく多い。私達が「読み手側」の場合、実在の人物が登場する書籍を読書する時「かなりの信頼度があるのでは」と思いながら読むことがほとんど。「林田民子エピソードのブーム」は現代らしいとも言えるようです。
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