春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

兄貴、呆れる!ルーシーと節三!

2017-02-07 19:48:10 | 節三・Memo

 


・・・・・【節三・Memo】・・・・・・・・・

世界一の果報者

米国加州屈指の資産家ロッス婦人と結婚して
世界一の果報者よと羨まれた太田節三氏の
兄さん戍太郎(いぬたろうのルビー・じゅたろう)氏は
小坂の町会議員で素封家でもある。氏を問えば
『あんな者のことをかれこれと書かれては困ります。
金と心中したものですよ。金と心中する様なものですからなァ・・・・
と困ったような顔つきをして八字ひげをひねっていた。
(写真は最近の節三氏とロッス夫人)
※加州=カルフォニア

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1929年2月20日ルーシーが風邪をこじらせ、イタリアで亡くなくなり、
夫婦としての結婚生活は短いものですが、節三渡米から、4年後の1925
年から、
二人は、居をともにし、4年余りの蜜月の期間がありました。
講道館の三船久三師範を代行し指南役を務めているとき、机の上に、
「一人前になるまで帰りませんと、」走り書きを残して、渡米した節三は、
ルーシーが亡くなった後、佐藤千夜子さんとの出会いを最後に、
ゴシップで賑わすことはなく、
たまに新聞記事が、彼の動向を報じているだけであります。
1951年に帰国、毎日新聞の大々的な報道に、政界、経済界が色めきだったものの、
当人の沈黙の中で、1963年の東京・湯島の名門旅館、花水館で、命を絶った時は、
身内だけが知る、孤独な最後でありました。

昨日と今日の3枚の新聞記事で、某、書籍を読んだ皆様には、
明確な違和感に≪そうなのか≫と思って頂ければ幸いです。
それに与えする更新だと思います。

一時、コメント、問い合わせなどがあって、
一旦、この話題には触れない、更新しないと云いましたが、
隠れたエピソードは、たくさんあります。
今は心を広くしました。

更新記事の内容について知らない方には、ブログを借りて、
大変失礼な方法だったと・・・。


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