イタリアワインかぶれの料理人

イタリアワインとコーヒーが大好きな料理人が、呆れるほど愉快に溢れるイタリアワインの魅力を伝えていきます。

JSAソムリエ呼称認定の顛末記 その3

2012-10-09 09:40:07 | ブログ

10年ほど前の教則本の歴史には紀元後92年の出来事を、「ブドウの栽培禁止令を出されるが、あまり守られなかった。」皇帝の命令で植民地に対して出されたと書かれてあったと記憶をしています。
その当時はドミティアヌス帝の治世の時代です。帝国内に侵入してくるダキア人と戦争はあったが、前帝が実施した正確な国勢調査のおかげで税制が安定した時代でもあり、大きな苦労のなかった皇帝だったと記憶をしています。
古代ローマの皇帝は絶対君主ではありません。皇帝令であっても議会である元老院の多数がなければ、施行されることはなく。本国以外に適用されるとなれば、緊急事態か個別の案件であるとしか考えられません。ちなみに、ローマ人物語の中では、92年の出来事には触れられてはいません。
10年前にソムリエの呼称認定を受験しようと思い立った時、92年の出来事やイタリアに関する知識が乱雑に扱われていた印象を受けました。当時のイタリアンの状況を考えると、ワインに係わる者に求められる専門的な知識やサービスに、業種の垣根はないと思っていますが。イタリアに関しては知識その3、その4くらいの扱いをされているようでした。フランスワインを扱う環境を優先されていることはJSAの成り立ちから考えても当然だと思いますが。イタリアのワインを中心に扱う私としては、頑張った結果に頂くバッジだとは到底思えなくなり、わが道を行くことに決めた次第です。
続く


エトナ ビアンコ “ヴィーニャ ニケ”2009

2012-10-07 09:14:55 | ブログ

Photo 今回のイタリアワインは、テッレ ネレ社のエトナ ビアンコ “ヴィーニャ ニケ”(Etna Bianco "Vigne Niche")2009です。今では、エトナ山周辺でしか栽培がされていないカリカンテ種100%を大樽で熟成をされます。香りはオレンジの花、シナノキ、ヴァニラ、ライム、アーモンド。しかし、シナノキは苦し紛れに出した香りです。アーモンドやライムの皮の重複した香りなのか、シナノキの木肌の香りなのか。紛らわしいままに、とりあえず書き置きしました。
味わいも特徴があります。シルキーな酸は酸だと感じるのだが、酸っぱさが微塵にも感じない不思議さがあります。そして、ふっくらした果実味と相まって、舌の上にて表面張力で盛り上がる水滴のような立体感を感じました。この価格であればもっと果実味に厚みがあってもいいのにと思いますが。まあ~、エイジングをすることで押し出されることを期待します。それに、風味の良いミネラリー味わいがあり、すべてがほどほどのサイズでグラマラス。
1ヶ月前くらいの展示会で試飲したマルセル ダイスのリースリングを思い出しました。アルザスよりかなり南のシチリアで、上品でしっとりしたシルキーな酸は構成は違っていても、どこか相通じる味わいがあるように思えました。


JSAソムリエ呼称認定の顛末記 その2

2012-10-06 08:50:57 | ブログ

ワイン造りがギリシャに到達し、フェニキア人と共にギリシャ人の地中海沿岸への植民活動が始まります。そこから地中海沿岸に一気にワイン生産が広がります。ワインが重要な交易品だったからです。
紀元前753年にローマが建国されます。前後して市民を中心にした都市が出現します。互いの都市は商売の競争相手ですから、力と力のぶつかり合いは必然的に起こります。その中から派遣国になったのがローマだと思っています。そのローマが負けた集団へ略奪の限りを尽くしたのかと、言われれば信仰の自由、生活習慣、風俗はそのままに同化はしても略奪はなかったと思っています。ただし、ローマ人物語の中に書かれてあることを参照すると、ですが。
私は塩野七生著「ローマ人物語」を参考文献の一つにしています。この本の感想を言えば。定住をしないガリア人がブドウ栽培をしていたとは考えづらく。ガリアがローマの属州化をされ、ローマ市民権を得たのち、定住をするようになり採取狩猟から農業へと生活の糧得る方法が変化した。以前から交易品としてあったワインをローマ兵から引き継ぐ形で醸造を始める。こう考えることが自然であると私は思っています。何も紀元前からガリア人がワインを造っていなくてもいいと思うのですが。ギリシャからローマ、そして、ガリアへと伝わるワイン造りを快く思わないと、しか、思えません。
このような歴史感と符合するのが、ケルト文化につて書かれた本です。著者は忘れました。ここではローマ人を強欲な民族であり、ケルトをブリタニアまで追い詰めた侵略者として取り上げています。その事は見解の違いなので問題はないのですが。ケルト人について戦いを好まず平和で優しい人達であると際立たせるには、効果があると思います。しかし、塩野七生さんが言うところのパスクロマーナの意味していること考えると、ああそうですかと納得は出来ないと考えています。
なぜ、この世界に足を踏み入れる時にイタリアを選んだのか、確たる確証が在った訳ではなく、イタリアワインにシンパシーを強く感じたからです。イタリア的な何かに音叉のように共鳴したからです。20数年前に最初のイタリア旅行の時に感じた、一般論で語られるイタリア人と現実に合い対したイタリア人の気質の間には大きなギャップがあり。むしろ、その時にワインを通して感じたシンパシーが確信めいたものに変化した一瞬でした。その後の、塩野七生さんのイタリア関連の著書を読んでいくと、今まで言葉にならなかったことが文字になっていました。
私が語れるのは、たかだか飲み食いの話です。単純にイタリアワインのオタクです。嫌いだと書かれるのはいいとして、事実なり、歴史を歪曲されることはとても悲しいことです。。
続く。


JSAソムリエ呼称認定の顛末記

2012-10-03 10:37:29 | ブログ

先月の24日にソムリエ認定の試験を受けました。去年は2次試験が不合格だったための、再チャレンジでした。 かなり以前に、この呼称認定を受けるための、準備をしたことがありましたが。その時は、フレンチのソムリエのための呼称認定のような気がして、受ける意味を見つけられず。その時は断念をしました。

なぜ断念をしたかと言うと、勉強方法を研究するために教則本を参考にしようと思い見てみると、歴史に対する認識に違和感を覚えたことが一つの理由に挙げられます。

その当時は、塩野七生著「ローマ人物語」を読んでいました。これはローマの建国と地中海を内海とする派遣国家になってゆく過程を歴代の政治の決断者を通して、ローマという国(近代の国家とは違うと思う)の一部始終を物語風に書いた本であったと思っています。

この本に接していて感じていた、言葉の定義があります。属州に植民地、奴隷、法律これらをキーワードにローマ人物語を読み理解をしてゆくと、教則本の著者と塩野七生さんの間には相容れない認識の違いを、私が感じたからです。

続く