新笠通信 奄美電信版

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shake hands

2007-06-25 01:24:17 | 4F
こんばんは 土☆ほた★です
先日の写真はお月様です
今日の写真もお月様です
先日西の空に見えていたのにあっというまに南のほうによってきていました
うさぎのようにすばしっこいですね
ジュピタは相変わらず南の空さそり座の左というポジションをキープしたままです
土星の輪は迫力がありますね

今日は愛情表現についてのお勉強です
大切な人の前以外でははだかの自分をみせてはいけません

以上です

本当にわかっている人なら大切な人のことほど他人には教えたりしません

インターネットなどで大切にしている人との関係をみせびらかしているような人とはかかわりあいになってはいけません

本当のことなんていうものは当のふたり以外知るよしもないということです

他人がどうであろうとふたりの世界にはなにも影響をおよぼす余地がないからふたりだけの関係というのが達成されるのです

世の中にはふたりだけのひみつを知りたがる人であふれているのでそのふたりのことでありもしない話をでっちあげてわるいうわさを流す人がたくさんいるのです

そういうわけでこれから先も大切な人に不利になるような情報をこのブログで流すことはありえないということです

そうすると世の中になにかをひろめたがっている人の話題しか流せなくなってしまうと言うことです

目立ちたい人を目立たせることが主な役割になってくるのでブログの世界では誰かが大切にしている人の話題が出てくることはないといってもおかしくありません

ブログの中に命の次に大事といえるような情報を流している人はいませんよ

過去に消化して吸収したような情報を流さないと大切な人を守ることはできませんよ

ブログの世界では本来まじわることが考えられなかった人同士がすれちがってしまうようにできています

違う世界の人とたびたび交差してしまうわけですがインターネットがなかったら死ぬまですれ違うこともなかったはずなのです

めぐりあうはずがない人同士がすれちがってしまうけれどもお互いの世界のことを理解するためのじゅうぶんな時間はとれないようにできているから

出逢うはずのなかった人とすれちがうたんびに住む世界がちがう者の世界を身近に感じてしまうようになります

住む世界が違う世界があるという世界が存在する事実をたくさん知ってしまいます

住む世界が違うもの同士がいったりきたりすることはできないのです

インターネットの世界でなおかつ匿名の立場を維持することができた者同士しか違う世界の間をいったりきたりすることはできません

実名や社会的身分・立場というものをインターネットの世界に持ち込んでしまうと匿名の人は絡んでこなくなります

インターネットの世界に社会性を要求することになってしまうのです

現実の社会では社会的におかれている立場からかけ離れた人とめぐりあうことはありません

自分が身を置いている社会環境に類似した世界にいる者までが交際をするうえでの守備範囲になってしまいます

絶対に交わることがおこりえない世界というのが層として幾重にも存在するわけです

自分がいる層からかけはなれた人と交際するとあまり充実した人生を送れなくなる可能性があります

都会では住む世界というものが幾層にも存在し互いの層どうしが明確に分離しているのです

小さい頃から似通った者同士の集団の中に身をおくこととなります

地方では都会では現実に確実に存在している社会背景により自分が身を置いている層というものが意図的に不明瞭にされてしまっているため、本来すれ違うはずのなかったもの同士が小さい頃から日常的にまじわってしまっているのです

都会では親によって子供の住む世界が決定されているといえます
地方では様々な世界に住んでいる親の子供が一同に会すことが決定されているといえます

親の住む世界が幾重にも分離されているのが現実であるとすれば子供の住む世界も幾重にも分離されてくるというの自然であるといえます

不自然な環境が存在してしまうとストレスを受けることがなかったはずの人がストレスを受けるようになり長い時間を経たのちに何らかの社会問題として表面化してくることが考えられます

社会保障制度の恩恵に安住する傾向を示す親が出現してくると社会保障制度の恩恵を受けていない親との差異が明確になります
住む世界が違う親を大きく二通りに分けるとこの2者となります
住む世界が違う親の子供同士を一堂に会してしまうと当然のごとく何らかの化学反応がおこってしまいます
何かが破綻している親の子供がいつまでもおとなしくしているはずがないということです
壊れている親の子供がいつまでもまともでいるという可能性は限りなく低いということです
子供はしばらくはおとなしくしているかもしれませんがいずれ親をさらに破壊するか社会を破壊するような行動をとりやすいといえます

建設的な家族運営がなされていない環境にあるものは周囲に存在する建設的な家族運営を実現している者たちの存在が目障りになってきてしまいます
自分の家族が建設的な運営からはほど遠い状況に陥ってしまっていると自然と順調にいっている家族にいるような者の近くから離れていってしまいます
将来性のある家族を経営するという希望とは縁がない場所に自分はいると思ってしまうと人生の上で建設的に階段をのぼることの意義が失われてしまいます
決して手に入れることができない家族の姿というようなものがあることを認めてしまうと人生そのものを完全にあきらめてしまいます
それでも生きていかなければならないので本当に欲しいものが家族であった場合それが絶対に手に入らないものと思っているのであれば身近に親が存在しておれば親を破壊することをエネルギーとしてまたは親近感をもてない家族の環境にある他者を破壊することをエネルギーとして存在し続けていくことが考えられるのです
住む世界が幾層にも分かれているということは小さい頃から現実に格差が存在していると言うことです
家族のような幸せの象徴のようなものからかけ離れてしまっている者は小さい頃からその格差を何倍にも増幅された形で感じているということです

地方などで行なわれている公教育の現場ではあたかも世の中は平等であるかのようなたてまえしか述べることはできないので世の中が平等でないことを肌身に感じている層の子供達はおおやけの立場にある者のことを信用しなくなってしまいます
おおやけの立場にある者は個別の家庭事情などに介入する能力などあるはずもなく当初から介入することを要求されてはいないのです
壊れた家庭の子供達も一元管理しているということが現実なわけです
壊れた親の子供が壊れた場合通常のおおやけのシステムでは十分なフォローなどできるわけがありません
壊れた親から分離して安全な所へ避難させるというようなフローが仕組まれなければならなくなってしまうのです
壊れた子供を安定させるには極端にいうと催眠術のようなものをかけることでしか対処法はないといえます
子供が絶望を感じる要素をすべてとりはらわなければ改善効果があがるわけなどないのです
子供に希望を与えてしまう場合には長期にわたる保証が実現されなければ希望を与えようとしている主体が破壊の対象となってしまいます
希望を与える者の責任はとても重いのです
希望を与える者がいたらその正反対に希望をずたずたに切り裂く者がいるということです
子供が置かれている状況は生活環境の中に希望を与える者がいつでも身近にいるにもかかわらず間髪いれずに希望をずたずたにしてしまう者が身近にいるということです
しかもそれが親である場合が多いということです
こういう状況におかれた子供はおおやけも親も両者やることなすこと無責任であると感じ社会全体に失望を感じてしまう場合があります
おおやけは子供の将来を責任をもってさいごまで見届けてやる機能は要求されていないのです
身近な環境に殺されてしまったような子供達がたくさんいるというわけです
親にもおおやけにも絶望を感じたまま世間に出て行ってしまいそこでは初期のころだけは希望を感じることもあるかもしれませんが小さい頃に育った環境に信頼を持っていなかった者はどこへ行っても理想的な環境という漠然とした希望を持ってしまうので行った先々で勘違いをしてしまうことが考えられます
小さい頃に身近な環境に不信をもってしまった子供達は結局社会の中にも信用できるところを見つけ出すことができないでいつづける事が考えられます
社会の現実は建設的な準備段階を行なえなかった若い人ほど理不尽な仕打ちを受けてしまうような世界になってしまっています
小さい頃から建設的な環境に身をおいていなかった者は社会に出てしまうとさらに建設的な環境とはほど遠い世界の住民になってしまいます
建設的な環境にあったかなかったというのは現実に明確に存在する社会格差そのものです
住む世界が違うというのはまさしくこれまで実際に存在していた社会階層そのものが違うということです

おおやけの教員は社会階層そのものに対してはなんら影響を与えることができないということです
社会格差からくる集団内部のひずみに対応できるようには養成されていないという事です

ひどい親が多いのは真実です
でも子供を親から分離することまではできないのです
親が子供の所有権を主張するからです
子供を所有物だと思っている親が存在するのです
人間は誰の所有物にもなりえることはありません
社会人は合法的な社会契約に基いて集団との関係性を構築しているわけだから集団が個人を所有しているという考え方は誤りです
建設的な環境になかった子供達のほとんどは合法的な社会契約とは無縁の集団と関係性をもってしまう危険性が高いのです

今日は大切な人にむかってみんなには内緒ですきといっちゃおうということを言いたかったのですがうっかりいろんな人のことを考えてしまいました
ですから、大事な人に何を言ったかというのは死ぬまで誰にもおしえないということです
誰かが誰かを大事にしているということは当事者であるふたり以外は誰も知っているわけがないということです
ブログなどにたいせつな人に言ったはずかしいようなセリフは書いちゃだめだよということです
誰かを大切にしているという内容のセリフは死ぬまで当のふたりだけの秘密であるということです
他人に大切な人がゆってくれたセリフをみせびらかしているような人はそのうち大切にされなくなりますよということです
ふたりだけの秘密がどれだけあるかが問題であるということです

いやみなさんは好き勝手にしてよいのだと思います
大切な人の秘密だけは守ったほうが長続きしますよということです
大切な人がたくさんいる人は秘密をかかえすぎていつか誰かを傷つけてしまうでしょう
修復できないほどに大切な人を傷つけてしまうのであれば大切な人は1人にしぼったほうがよいですよ

大切な人に大切だよと言うことさえできていたら死ぬまで後悔しないような気がします
かんじんなことを伝えることができなかったらいつまでも後悔してしまいます

それでは みなさんに残された時間はあまりありません
大事な人にだけはかんじんなことをいっておきましょう

ばいばい


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