平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第11回は夏目慎也(体育4・時習館)と西尾壮太(体育4・松阪)です。
是非ご覧ください!
こんにちは。筑波大学硬式野球部4年の夏目慎也です。日頃より筑波大学硬式野球部へのご支援・ご声援のほどありがとうございます。
せっかく、このような機会をいただいたので、まずは私のバックグラウンドについて、軽く書こうと思います。ニューヨークメッツで活躍している千賀滉大選手の出身でもある、愛知県蒲郡市が私の地元です。とにかく過ごしやすくて、大高くんが、「次いつ行くよ」と満面の笑顔で度々、誘ってくるくらいに良い街です。
そんな蒲郡市で生まれ育った私は、仲の良いTくんに影響されて、形北ファイターズで野球人生をスタートさせました。その後、中学時代は形原中学校野球部と蒲郡BBCの二刀流で野球に打ち込み、時習館高校で硬式野球デビューをし、現在に至ります。
14年間、野球を続けているわけですが、当時を知る方々の中に、私がここまで長く野球をすると思っていた人はほとんどゼロに近い気がします。
そう感じるほどに、野球が上手くはありませんでした。他の種目の方が成績を残すことが出来たかもしれません。
それでも、ここまで続けてきた理由は、野球というスポーツが好きだということと、野球を通じて得られる経験が、常に刺激になっていることにあります。
私の過去について軽く振り返ったところで、本題に入ろうと思います。
ラストシーズンに懸ける想いということで、あれも書きたいこれも書きたい状態に陥る所でしたが、ぐっと堪えて2つに絞りました。私の優柔不断ぶりを知る両親は、ここで私が2つに絞る時にどれだけ悩んだか、容易に想像できると思います。
しかし、22歳になった今、優柔不断さは改善されてきているので、安心してください。ちなみに、1週間では足りませんでした…。
(全然改善されてないじゃないか!)
1つ目は大学野球をしてきた人間が陥った悩みとそこから学んだことについてです。
野球をしていて、どのような時に楽しいという気持ちが生まれますか?
例えば、ある人は、ヒットを打った時に。
またある人は、練習終わりに仲間としゃべってる時に。と、それは人それぞれです。
私は、この「楽しい」という気持ちがスポーツの源泉であると思っています。大学野球というステージまで野球を続けてくると、競争が激しくなってきたり、自分のやりたいことばかりさせてもらえなくなったりと、どんどん結果にフォーカスされるようになってきます。
そのため、「最近、肩身狭いんだよね」「野球が楽しくない」といった言葉を漏らす仲間が現れ、私自身も「なんで今、野球をしているんだろう」とひたすら考えたことがありました。
1~3年生にも、このようになった人、今まさに悩んでいる人がいるのではないでしょうか。私はこの状態を悪いとは思いません。むしろ、それだけ目の前のことに、野球に、真剣になっているからこそ生まれる悩みや不安なのだと、今になって思えるようになりました。
問題は、この悩みをどう乗り越えるかにあります。ここには、模範解答となるものは存在しないと思います。なぜなら、歩んできた野球人生は千差万別であり、楽しいと感じる基準も異なるからです。
しかし、答えのないまま文を終えてしまうと気持ち悪いので、そういう人はとりあえず、自分のこれまでの野球人生を振り返ってほしいと思います。その中で、自分が一番輝いていた瞬間や楽しかった瞬間を思い浮かべてください。野球を始めたきっかけまで遡ってみてもいいかもしれません。
そして、それを今と比較してください。誰でも考え付くようなシンプルな方法ですが、これが案外効果的です。
結果を追い求める中でも、自分が「楽しい」と思える瞬間を、現在の野球生活に少しでも多く見出すことが出来れば、見方や考え方に幅が生まれ、気持ちが楽になると思います。
社会人になる前に、このような物事の考え方が出来るようになったことは私にとって、大きな収穫です。ぜひ、後輩には「楽しい」という気持ちを忘れずに、野球に打ち込んでほしいと思います。
体育・スポーツ哲学研究室に所属しているので、哲学チックな内容になってしまいましたが、お許しください。
2つ目は、感謝です。
こう見えて私はものすごく涙もろいので、過去のことを思い出しながら書いているだけで涙が出そうになってきます。まずは、私の野球人生に関わってくださった方々へ。
この野球人生は、本当に様々な方の支えがあって、成り立っています。
たくさん道具を買ってもらいました。
たくさんケガをしましたが、その都度、対応とケアをしてもらいもらいました。
たくさん笑いあったり、時には泣きあったりしました。
この一瞬一瞬は私にとって、宝物であり、今後も大事にしたい思い出です。また機会があれば、お話ししたり、ご飯・飲みに行きましょう。
次に、家族のみんなへ。一人暮らしを始めて以降、家族のありがたみを毎日のように感じています。
家に帰ればご飯を用意してくれて、練習で泥だらけになったユニフォームを何も言わずきれいに洗ってくれて、文句言わずに送迎してくれて、応援を近くでずっとしてくれてetc…
書き始めたらキリがないくらい、感謝したいことは山ほどあります。のびのびと学生生活を過ごさせてもらいました。
家を離れ、成人になった以降も、変わらずに支え続けてくれてありがとう。もう少しだけ、僕のわがままに付き合ってください。次の帰省の時には、必ず大学野球やりきってきたよという顔を見せます。
最後に、野球部のみんなへ。
これは筑波の良いところでもあり、悪いところでもあるのですが、ここまでバックグラウンドが多様で、根がクソ真面目な集団は他にないと思います。
入学前は、なんとなくエリート集団かなと思っていたのに、いざ入ってみれば、とんでもない言動や行動をする人や、誰にも譲れない唯一のワールドを持っている人がいて、毎日が発見の連続でした。
同期ですら、今でもそうだったの!?という発見がある人がいるくらいです。そんな愉快な仲間たちと過ごす時間も少なくなってきました。
普段は恥ずかしくて言えることではないですが、みんなに出会えて本当に良かったと思っています。
ありがとう。
少しでも長く、みんなと野球がしたいです。そして、ラストは笑顔で、大学野球は「楽しかったな」で締めくくりたいです。
『共創』で次こそは、獲りましょう。
私の伝えたいことは以上になります。
1人でも多くの人に伝わってくれたら、嬉しいです。
拙い文章となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
体育専門学群4年 夏目慎也
愛知県立時習館高等学校
こんばんは4年外野手の西尾壮太です。
小学1年生から始めた野球人生が終わりを迎えているかと思うと、エモいですね。
私は、センター試験の国語で89/200という衝撃的な点数を叩き出しているので、拙い文章になると思いますが、最後までお付き合いください。
まず、自分のことを振り返ってみたいと思います。
大学1年生の時は、右も左もわからないのでとにかく練習しました。
2年生になると徐々にAチームに呼ばれることも増えました。しかし、Aチームの練習について行くので必死でした。下手すぎて練習を外されたこともありましたし、先輩方から厳しい意見をたくさんもらいました。
そして、大学3年生になり、春先に左足の肉離れをしてしまって春リーグの開幕には間に合いませんでしたが、リーグ戦に途中から出場することができ、ヒットも打つことができました。
この時は本当に嬉しかったです。
その後、リーグ戦も終わり、これから秋に向けてレギュラー争いに勝って、スタメンで出てやると思って意気込んでいました。また、このタイミングで出場機会を求めて内野手から外野手に転向しました。
6月の紅白戦、一回裏、堀江くんが打った打球を飛び込んだ時に左肩を脱臼しました。
この時は、かなりの期間離脱してしまい、復帰できたのは帰省期間が明けてからだったと思います。
リハビリ期間もしんどかったですが、リハビリが明けてからが地獄でした。
好調だったバッティングは完全に見失っており、外野の守備は目を当てられませんでした。
この時期からBチーム生活が続きます。Bチームの試合でも全く結果を残せない日々が続きました。その間にも同級生や下級生が結果を残してどんどん活躍していきました。
自分だけが取り残されていくという感覚や結果が出ないことへの不安と焦りから練習量が増えていきます。オフ返上で練習もしました。その練習でオーバーワークになり、疲労は抜けないまま試合して、体は動かないので結果は出ません。それで、また不安と焦りで練習するという負のスパイラルにハマって行きます。
もちろん結果は残りません。出発機会も減って行く一方です。
その時、「こんなにやっても結果出ないし、自分より練習していないやつでも結果が出てるんやったら、俺がやってることって無駄なんじゃないか」という気持ちで心がいっぱいになりました。
そうするとバットを振ることすら怖くなり、「どうせ、練習しても結果出ないんやから、練習なんかやめてしまおう」
と思うようになり腐りかけていました。それでもなんとか踏ん張りながらやっていました。
4年の春はAチームからスタートしましたが全く結果を残せず春リーグの10日前にBチームになりました。さすが、この時は心が折れました。
この時くらいから結果が出ない不安と結果を出さなければいけないという焦りから夜寝れなくなりました。
薬を飲まないと寝れない日々でした。また、食欲も無くなり1週間で3キロくらい体重も落ちました。
それでも、4年生で選手として残っている責任から練習はしていました。でも、もう野球が楽しいとか、ヒットが嬉しいという感覚はありません。
そして、後が無い状態で挑んだ最後のトライアウトで全く結果を残せず、4年生の夏に配属されたチームはCチームでした。
この時は、悔しいとかの気持ちよりも「終わったー」って感じでした。
でも、この時に転機が訪れました。キャプテンの西浦から、「結果を出すことに執着しすぎて、野球楽しめてないのでは?」といった内容の動画が送られてきました。
完全に心が荒んでいたので、野球で結果を残せるやつの綺麗事だなとその瞬間は思っていました。(ほんまにごめん、西浦)
でも、数日たつともう少しで選手をやめるのだから、最後の一か月くらいは野球を楽しんでみようと思ってグランドに行っていました。
そうすると、不思議なことにヒットが出始めます。怪我人の補充で呼ばれたAチームの試合でヒットが打てました。その後も、今までが嘘のようにヒットが打てます。
そして、今Aチームにいることができています。不思議なことがあるものです。
上級生になってから「もう野球を辞めよう」と真剣に何度も思いました。
本当に苦しく、辛いことばかりでした。何回野球辞めたいと呟いたかわかりません。
それでも、辞めなかったのは仲間や周りの人達の支えと野球部のスーパー外部コーチの東條さんの言葉があったからです。
その言葉とは、
「Success isn’t linear」
日本語に訳すと
「成功は直線的ではない」
この言葉は、3年生の秋ごろに悩んでいた時に東條さんからいただいた動画の題名でした。
どんなに結果がでなくても、諦めそうになりながらこの言葉と周りのサポートがあったからこそ最後まで、野球を続けることができたんだと思います。
今まで、結果も出ていないのにたくさんの人にバッピをしてもらったり、ノックを打ってもらいました。(特に、塩田、れいじ、慎太郎ありがとう)
大地、逸聖、夏目たくさん守備を教えてくれてありがとう。
辛い時、苦しい時、話を聞いてくれたり、アドバイスをしてくれる仲間もいます。
川村先生、東條さん、つくばに挨拶行く行く詐欺をしている木村匠汰さんなど、これまで多く指導者に恵まれました。
両親もここまで野球を続けさせてくれてありがとう。一人暮らしをするようになって、自分にどれだけのお金と労力がかけられているのかが分かりました。この恩は絶対に返します。
そして、ラストシーズンにかける想いは、
今まで支えてくれた人達に恩返しをしたいということです。
それはリーグ優勝、日本一ということでしか出来ないと思います。この目標のため、このチームのため、支えてくれた人のため、最後の最後まで戦い抜きたいと思います。
最後に、私は今のチームが大好きです。一体感があって学年間の仲も良いが、時には厳しい意見を言いあえるのは信頼関係があるからだと思います。また、局の活動などで多くの部員が野球以外でもチームに貢献していると思います。
そんなすごい部員がいるこのチームだったらリーグ優勝、日本一を達成できると信じています。秋リーグは、みんなでリーグ戦優勝、日本一を掴み取りましょう!
体育専門学群4年 西尾壮太
三重県立松阪高校
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