中部地区には犬山城をはじめとして城址と言われる戦国時代の遺構が多い!
時に利あらず敗軍の将となった「明智光秀」の出生地と言われる里を訪ねてみました。
出生は謎とされれる光秀、この地明智一族の一人ではと言われてます。
大手門脇にある天龍寺、城山を借景とした紅葉です。
此処に悲しい歴史に翻弄された一族の墓がひっそりと・・・。
それぞれの名前は判りません。ただ小さな石仏が所狭しと並べられています。
城址への石畳の脇に満天星つつじが真っ赤に色づいてました。
斎藤竜興に滅ぼされるまでの250年、明智一族の城址
最後の城主が11代明智光秀?その後放浪して織田家に仕え天下統一の夢破れた武将
反逆した明智一族ということで長年口をつぐみ、忍んでひっそり暮らした地元の方々
せめてもの供養だったのでしょう。
悲しい歴史を持つ明智一族、生きた痕跡はほとんど消し去られたのでしょうか?
謎の多い武将 悲しい歴史を持つ明智光秀の安眠の地なのでしょう。
何があったのかよくわかりませんが
この季節紅葉が見られる綺麗な良い場所ですね。
謎だらけで、そこがまた種々思いがあって楽しませてくれるのでしょうね。
いわゆる、ヒストりィハンタ-というのですか?
今朝は今季一の寒さを感じます。
二つあったはずの球が一個になっております!
特に城址の紅葉は気持ちをぐんと引き立たせてくれましたよ。
紅葉はナイスですね
紅葉も葉が濡れて、色も際立って綺麗でしょうね。
でも寂しい墓地に、雨は似合わないね、泣いてるみたいだし(^_^;)
長い間伏せられ、ここ出生のちは差別すらあったようですね。
優秀な武人であったことは違いないと思うのですが・・・・。
紅葉はこのお寺だけ里山には紅葉は少なく黄葉↓落葉樹が多いように思いました。
真意は別として後世の天下人にとっては覆されることはあってはならないことと極悪人のレッテルを張ってことごとく消し去ったのではないかなという気がします。
一族の墓はどれにも名前は刻まれていませんでした。
お寺の本堂には大きな光秀の位牌が安置されてるということでした。
今回はヒストリーハンターのお供で案内しました。
未だ出生他不明なことばかりです。
一族の墓石には法名はもちろん年代も一切記されていません。ただ石仏が所狭しと並べられていました。
この地の出身、室町時代の名家土岐氏一族だったことは間違いないようです。
織田・豊臣・徳川・明智の各武将はほんとに狭い地域の出、周りに遺構がいろいろあるようです。
まさに真冬の天気です。
雨の日の紅葉は好きですね。汚れが現れしっとりした風情で・・・・。
昨日、昨年越冬した「マガン」が今年も到着しました。
ただ目下2羽(昨年は6羽)というのが気がかりです。
それと今朝ツグミも確認できました。
いよいよ葉が落ちると一気に冬本番です。