融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「祈りは愛」

2025年02月08日 | 聖書のお話

「祈りは愛」 マタイによる福音書 21章12~17節

 イエスさんは、神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返しました。そして、「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」と言いました。イエスさんの周りに目の見えない人や足の不自由な人たちが集まって来ました。イエスさんは、彼らを癒やしました。祭司長たちや律法学者たちは、イエスさんがなさった不思議な業を見、境内で子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と叫ぶのを聞いて腹を立てました。

 イエスさんの生き方は、その行動によって現れました。同時に、祭司長たちや律法学者たちの生き方も、その行動によって現れました。信仰がその人の生き方を現し、生き方がその人の信仰を現しているのです。信仰を造り上げるのは、「祈り」です。神さまを礼拝する場所は、信仰を造り上げる場所です。それ故に、礼拝する場所は「祈りの家」なのです。イエスさんは、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさいと教えました。祈りは、愛です。敵でさえ愛する祈りは、人格を造り上げ、信仰を造り上げます。その信仰が、その人の生き方として現れるのです。

 


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「幸いとは愛」

2025年02月01日 | 聖書のお話

「幸いとは愛」 マタイによる福音書 5章1~12節

 イエスさんは、大勢の群衆に向かって、「心の貧しい人々は、幸いである。」、「悲しむ人々は、幸いである。」、「心の清い人々は、幸いである。」と言いました。貧しさのために心が挫けてしまった人々、苦しいことがあって泣いている人々、困難があっても心を清く保っている人々の日常生活について話されました。

 イエスさんは、心の貧しい人々には「天の国はその人たちのものである。」と言い、悲しむ人々には「その人たちは慰められる。」、心の清い人々には「その人たちは神を見る。」と言いました。置かれている状態はそれぞれに異なっていますが、いずれも「幸いである」と肯定しています。そのことを通して、「幸い」とはその人々が置かれている状態のことではなく、神さまに愛されているかどうかであることを教えています。

 人間を最終的に「幸い」へと導くのは、神さまの愛です。イエスさんは、神さまの愛が全ての人々に注がれていることを教えるために、置かれている状態が異なる人々全てを「幸いである」と言いました。イエスさんはまた、人々に「自分を愛するように、隣人を愛しなさい。」と教えました。人間は、弱い存在ですが、互いに愛し合うなら全ての人々が幸せになれます。幸いとは、愛によってもたらされるのです。

 


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「荒れ野は愛」

2025年01月25日 | 聖書のお話

「荒れ野は愛」 マタイによる福音書 4章1~11節

 イエスさんは、悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行きました。そこで40日間、昼も夜も断食した後に空腹を覚えました。すると、悪魔がやって来て、「神の子なら、石がパンになるように命じたらどうだ。」と言いました。イエスさんは、その誘惑を退けました。次に、悪魔はイエスさんを聖なる都の神殿の屋根に立たせて、「神の子なら、飛び降りたらどうだ。あなたの足が石に打ち当たらないように天使たちが手であなたを支えるだろう。」と言いました。イエスさんは、その誘惑を退けました。次に、悪魔はイエスさんを非常に高い山に連れて行き、世界の国々と繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう。」と言いました。イエスさんは、その誘惑を退けました。

 イエスさんは、荒れ野で40日間、昼も夜も断食して祈り続けたことによって、それぞれ場所も動機も異なる3つの誘惑を完全に退けました。最初は奇跡によって人の命を救うかどうかの誘惑、次は奇跡によって信者を獲得するかどうかの誘惑、最後は世の権力を利用して神の国を実現するかどうかの誘惑でした。荒れ野で最初に受けたパンの誘惑とは、人間の命についての問題でした。イエスさんは、人間の命はパンだけでなく、愛が必要不可欠であると言いました。荒れ野とは、イエスさんを神の子として成長させた場所です。神殿でもない、世の繁栄した国々でもない、イエスさんが人間にとって愛が必要不可欠であると悟らせた場所とは、荒れ野なのです。

 


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「正しいことは愛」

2025年01月18日 | 聖書のお話

「正しいことは愛」 マタイによる福音書 3章13~17節

 イエスさんは、バプテスマのヨハネのところへやって来て、彼から洗礼(バプテスマ)を受けようとしました。ところが、ヨハネはそれを思いとどまらせようとして、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところに来られたのですか。」と言いました。しかし、イエスさんは「今は、止めないでほしい。正しいことを全て行うのは、我々にふさわしいことです。」と言って、ヨハネから洗礼を受けました。

 洗礼を受けるとは、自分の生き方を悔い改めて方向転換を決断することです。それは、変革をもたらします。罪を悔い改めて方向転換を決断する人たちが多くなれば、社会も変革されるからです。大勢のファリサイ派やサドカイ派の人々がヨハネのところに来て洗礼を受けようとしました。ヨハネは、彼らを「蝮の子らよ」と呼びました。彼らが悔い改めて方向転換する気もなければ、社会の変革を望んでもいなかったからです。

 イエスさんは、悔い改めと変革を望んで洗礼を受けました。それが「正しいこと」だからです。イエスさんが洗礼を受けると、天が開けて聖霊が降り、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえました。イエスさんは、このときから「神の子」と呼ばれました。イエスさんは、その生涯を通して「自分を愛するように隣人を愛しさない」と教えて福音を宣べ伝え、社会に変革をもたらしました。「正しいこと」とは、愛なのです。

 


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「愛に導かれて」

2025年01月11日 | 聖書のお話

「愛に導かれて」 マタイによる福音書 2章1~12節

 東の国から占星術の学者たちがやって来ました。占星術とは、彼らにとって信仰そのものです。彼らは、星占いによってユダヤ人の王が誕生したことを知り、星に導かれ、困難をいとわず行ったこともない国に向かって旅をして、エルサレムにやって来ました。

 ユダヤのベツレヘムに生まれたイエスさんは、その生涯を通し「互いに愛し合いなさい」と教え、十字架の死と復活を通して福音を世に宣べ伝えました。キリスト教で最も大切なのは、愛です。イエスさんを信じるとは、互いに愛し合い、愛に導かれて人生の旅路を歩み続けることなのです。

 東の国の占星術の学者たちは、夢で「ヘロデのところに帰るな」とのお告げを受けました。彼らは、夢のお告げをその通りに実行し、また一つ信仰を現しました。イエスさんの教える愛は、私たちの信仰そのものです。私たちも占星術の学者たちが星に導かれて困難をいとわず旅をしてその信仰を現したように、イエスさんの愛に導かれて困難をいとわず平和を希求しつつ歩みましょう。

 


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