融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

18歳からの投票権

2016年06月30日 | 日記

 18歳から投票権が得られるようになりました。

 まずは、若い人の1票が政治に反映されるのは、良いことかもしれません。

 「かもしれない」というのは、18歳は未成年でもあり、親の言いなりにされることもあり、本人の意思が保障されるかどうか、微妙なところがあるような気がするからです。もちろん、自分の考えを持っている、しっかりした18歳以上の未成年の方もおられると思います。

 それと、親が熱心な政党の信者であれば、自分の子どもに同じ政党に投票するように説得することが考えられます。すると、元々熱心な信者を多く持っている政党ほど、票が入るということになります。それと反対に、選挙に行かないような親の子は、そもそも親から選挙に行くよう声も掛けられもしないことが考えられたりします。

 いずれにしても、18歳以上選挙は、投票に行ったり、行かなかったりするような人たちが、たくさん投票に行くようになり、投票率が底上げされるようなことにならなければ、既存の大きな政党が有利になるばかりの制度ではないかとも考えられます。

 そのあたりのトリック、レトリックの部分を見抜いて、普段、選挙に行かないような人たちも、なぜこういう状況になっているのかを考えて、投票に行こうという思いになるようにと願っています。

 


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金のために魂を売る?

2016年06月29日 | 日記

 「金のために魂を売るのか」というフレーズを思い出します。想像ですが、「悪魔に魂を売る」というフレーズが元になっているのではないかと思います。

 「悪魔に魂を売る」とは、自分の目的達成のため、多くは私利私欲のためと思いますが、人間でなくなってしまうことを了とすることを意味しています。それと同じように、金目教に目が眩んで、人間であることを捨てるのが、「金のために魂を売る」という意味ではないかと思います。そして、 「金に魂を売った人」は、何でも金を基準にして物事を考えるようになります。そのような考え方は、人間でない考えであるということです。

 前置きが長くなってしまいましたが、田舎ではこの季節、自家製の野菜をいただいたりすることがよくあります。たいへんありがたいことです。それで、最近、ささやかながら、自分で小さい畑を作り、わずか数本のトマトとか、ナスとか、子どもピーマンとか、プランターでキュウリとかゴーヤーを育てています。土作りから試行錯誤の連続です。そんな経験をしています。

 それで、 「いただく」訳ですから、無料です。何かの機会に何かの形でお返しはしますが、基本、無料です。例えば、スーパーとかで野菜を買うとき、季節や相場によって、値段が安かったり高かったりするものです。特に高いときには、財布の中身を考えて、つまりお金のことを基準に考えて、手を出す出さないの判断をします。

 「いただく」場合、お金が介在していませんから、何を思うかというと、最近自分でもにわか野菜作りを始めたものですから、作った人の苦労とか、楽しさとかが頭に浮かんで来るようになりました。お金のことは、基本、考えません。

 お金のことを否定しているのではありませんが、お金のことを考えなかったら、こんなにも色々と心豊かになれることが分かったような気がします。これからは、お金で買うにしても、単に安いとか高いとかだけでなく、色々なことを想像して、心が豊かになりたいものだと思います。それと、自分で作った野菜を人に差し上げることができるようになりたいと思います。今は、ちょっと貧相でできません。

 

 


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安倍首相が政治資金で「ガリガリ君」を買ったことを山本太郎が追及

2016年06月28日 | 日記

 あぁ、こういうことなんですね。しかし、マンガ本とか、政治がよく分かる本?とか、ガリガリ君とか、なっちゃんとか、小渕ドリル優子の下仁田ネギとか、紙おむつとか・・・、大人になれない幼児ですか?

 

安倍首相が政治資金で「ガリガリ君」を買ったことを山本太郎が追及

 

 

 

 そうです。その通りなのです。以下は、解説記事です。(↓画像をクリックすると、ニュース記事へ移動します)

 


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親バカか(おや、馬鹿か)

2016年06月27日 | 日記

 以前にも書いたと思いますが、人が何かを語ったりするときには、何か伝えたいことがあるものです。それで、人の言う言葉に耳を澄ませて、語る人の思いを考えることは大切なことです。それと同じように、自分は何を伝えたいのか、自分の語るところの言葉にも耳を澄ませなければならないと思います。

 どうして私は戦争につながるようなことに拒絶を覚えるのだろうか。それは、若い人たちを死地へと追いやることにつながるからだと思います。もっと言えば、若い人の未来をコントロールしようとしていることになりはしなか、そんな風に思います。

 それで、別に若者に対して格好つけて言っているというつもりはありません。格好つけるほどの知識も経験もありません。それでも、ワーワー言わなければならないと考えるのは、自分の子どもや孫が死地へと行かされたり、戦争によって殺されたりするようなことが我慢できないからです。

 もちろん、自由な表現ができるからです。今は、ですが。もしも、これから自由な表現が許されなくなるかもしれませんので、今のうちに言うべきことは言いたいと思います。

 子どもや孫の世代になって、「ジジイがトロトロしていたから、こんなことになったんだ」と子どもや孫に言われたくないからです。(ジジイとは、私のことです)

 そうです。別に、知識があるからとか、立派な思想を持っているからとかではありません。とんでもない、単なる親バカの一種が動機です。子どもや孫たちに、「ジジイが馬鹿だった」と思われたくないだけです。(ジジイとは、私のことです)ダジャレですが、別の言い方をすれば、「おや、馬鹿か」と言われたくないだけです。

 

 


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特定秘密ver.

2016年06月26日 | 日記

 「コレコレをしようとしています」というと、それを聞いている若者は、色々と期待をするものではないでしょうか。つまり、期待をさせて思い込ませ、選挙が終わってから、「それは、あなたが勝手に思い込んだことだ、そんなことをワタチは一言も言っていない」というのが安倍総理の常套手段のように思います。

 エサをちらつかせるようなことをして、実は若者を経済的に困窮させ、志願兵になるように導こうとする、まるでパロディーのような下心が、今の経済状況、社会状況を見たときに「さもありなん」と思わざるを得ません。

 アメリカでも志願兵の形をとっていますが、志願するのは経済的に困窮した人たちが多いと伝えられています。衣食住が保証され、各種の資格も取れるため、志願兵というものが貧困層の受け皿になっているという現状があります。

 一番嫌なのは、若者を欺し、貶めるようなことではないかと思うからです。年寄りは、安全なところで戦争を声高に叫び、若者を死地へと送り出すような社会的システムを作り出す、若者の命と未来を生け贄として、年寄りが軍需産業でお金儲けを企もうとする、まったくどんだけ下劣なのかと思います。

 分別のある人なら、今の政治があまりにも金権政治で浅薄であることに気がつくはずです。そういった意味で、このパロディー動画は、パロディーの形をしていますが、現状に対して的を射ているように思います。

 

特定秘密ver.

 

*動画が削除されるかもしれませんので、キャプチャーでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 解説しているニュース記事は、こちら(←クリックすると、ニュース記事へ移動します。)


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