融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2024年05月25日 | 礼拝のご案内

 明日5月26日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「わたしの平和」、賛美歌は「神の霊よ、今くだり」、「聖霊よ、降りて」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 5月24日に国際司法裁判所がガザ地区南部ラファでの軍事攻撃を即時停止するようイスラエルに対して命じましたが、その翌日25日も「裁判所の判決が間違っている」と主張してイスラエルは殺戮を続けています。今、世界では、カルトというものの醜悪さをまざまざと見せつけられている真っ最中です。

 詳しく事情を知らない人が、キリスト教が悪いことをしていると誤解しているケースもあるとのことです。しかし、イスラエルを熱狂的に支持しているキリスト教徒も大勢いるようなので、そう思われても仕方ないことなのかも知れません。一方で、イスラエルの国全員がカルトを支持している訳でもなく、むしろ伝統的な本物のユダヤ人は、そもそもシオニズムすら懐疑的であると伝えられていますので、何もかも一緒くたにできません。

 人を殺しても平気な人たち、兵器が売れて儲けて笑いが止まらない人たちが、宗教の装いをしているだけではないかと疑うことも必要です。私自身、この殺戮を一日も早く止めさせるために熱心に祈ってはいるのですが、なかなか祈りが聞き入れられません。私の信仰が足りないのか、神さまが人間の行いに干渉しないのか、だったら「神の裁き」って何よと突っ込んだり、そもそも神さまなんていないんじゃないかって思ってみたり、改めて「国家と宗教」について考えさせられている今日この頃です。

 

 


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「聖霊とは愛」

2024年05月25日 | 聖書のお話

「聖霊とは愛」 ヨハネによる福音書 14章15~24節

 イエスさんは、十字架で命を賭して神の愛を示されました。その愛によって私たちは赦され、平和に生きることができるようになりました。しかし、私たちは未だに平和に生きることができていません。それは、私たちが十字架で命を賭して神の愛を示されたイエスさんを愛していないからです。

 イエスさんは、私たちが互いに愛し合って生きることができるように、聖霊を送る約束をしてくださいました。聖霊とは、イエスさんが十字架で命を賭して示された神の愛そのものとして私たちの内に宿り、私たちが互いに愛し合って生きることができるようになるための源です。

 しかし、私たちは未だに平和に生きることができないでいます。それは、イエスさんが十字架で命を賭して示された愛を私たちが否定しているからです。神の愛である聖霊が送られようとも、それを受け入れる気持ちがないから私たちの間に争いが絶えないのです。十字架で命を賭して愛を示されたイエスさんを愛するという決断のない人の内に、聖霊が宿ることはあり得ないでしょう。

 


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明日は礼拝です

2024年05月18日 | 礼拝のご案内

 明日5月19日(日)は、ペンテコステ礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「聖霊とは愛」、賛美歌は「まぼろしのかげをおいて」、「聖霊よ、降りて」です。礼拝にて、聖餐式を行います。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 ペンテコステは、イエスさんが約束した聖霊が弟子たちに降ったことを記念する日です。この聖霊は、恐れや不安・不信に囚われてしまう人間が、互いに愛し合えるようになれる力を与えるものです。現代、ウクライナやパレスチナを舞台に争いと殺戮が続き、新たに東アジアで台湾を舞台に中国との争いと殺戮のための準備が進められています。日本もミサイル配備と超音速兵器をアメリカと共同開発する運びとなり、いよいよ本格的に首を突っ込むことになっています。今こそ争いではなく、愛と互恵の精神によって平和が訪れるように、私たちの上に聖霊が降るよう真剣に祈ることが求められていると思う今日この頃です。

 


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「母と兄弟の愛」

2024年05月18日 | 聖書のお話

「母と兄弟の愛」 マルコによる福音書 3章20~35節

 ユダヤの社会には、「父と母とを敬え」という掟がありました。言い換えれば家族を愛しなさいということです。しかし、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物です」と言えば、父と母に何もしないで済むとも考えられていました。自分の考えを押しつけること、それが家族愛になっていました。

 ユダヤの社会では、病気になるのは悪霊の仕業であると考えられていました。指導者たちは、イエスさんが病気の人を癒やされるのを見て、「あの男はベルゼブルに取り憑かれている。悪霊の頭の力で悪霊を追い出している。」と言いました。それを聞いたイエスさんの母と兄弟たちは、自分の家なのに入ろうともせず外に立ち、人を使ってイエスさんを呼ぼうとしました。

 イエスさんの母と兄弟たちは、家の中にイエスさんを慕う病気の人たちが大勢いたので、イエスさんを連れ出そうとしました。そうしようとしたのは、イエスさんが「気が変になっている」という声に影響されたからです。人間は、自分の考えを押しつけて、それが愛であると考えてしまうものです。本当の愛とは、イエスさんが十字架で命を賭して示された愛です。イエスさんが示された愛とは、自分の考えを押しつける愛ではなくて、病気の人たちを招いて癒やし、二度と再び「罪人」と呼ばれないようにするための赦す愛なのです。

 


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明日は礼拝です

2024年05月11日 | 礼拝のご案内

 明日5月12日(日)は、母の日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「母と兄弟の愛」、賛美歌は「まぼろしのかげをおいて」、「聖霊よ、降りて」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。礼拝後には、5月の定例役員会があります。

 母の日の由来は、米国でアンナ・ジャービスさんという人がお母さんの記念会を開いた際、お母さんの好きだった白いカーネーションを飾ったのが始まりと伝えられています。そのことが広がった1914年に、米国で「母の日」が制定されるに至りました。折しも、1920年に米国で女性参政権が認められるという歴史の流れにあって、「母の日」も女性の地位向上に一躍を担ったのではないでしょうか。そのようなことを考えると、「母の日」は、お母さんに日毎の労を感謝し、お花をプレゼントする日でもあると同時に、母親のみならず女性の地位向上について思いを寄せて行動に移すことも大切ではないかと思わされます。

 母の日の由来について思いを寄せるとき、女性に参政権がなかった時代に、女性たちが運動を起こして社会を変革していった力強さを想起させられます。現代も同様に、平和が踏みにじられて、何万人という一般人が武器によって殺戮されている状況にあって、争いのない平和な人々の暮らしを取り戻すために社会を変革する力がどこから来るのだろうと思わされます。不平等と殺戮が当たり前のことのようにニュースは伝えています。メディアコントロールが世界中津々浦々に行き届いている状況で、偽りの二元論にも惑わされながら、果たして自明性とは何か、自立的な思考とは何か、そのようなことを思いつくことすら難しいと考えさせられる今日この頃です。

 


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