今年を振り返って思うことは、不安定な時代を迎えたな、ということです。正確にいうと、「不安」、「低」、不安低です。「不安」は、ざっくり言うと様々な行き詰まりの結果として、不安が増したという意味です。「低」は、ざっくり言うと生活が苦しくなるという意味です。世の中が、またそれぞれの生活が不安低になると、生活の質(知的、文化的水準)が落ちます。そして、いつの間にか一部の人に富が集中し、多くの不安低な人たちが、知らないうちに貧しくさせられてしまうようになります。
不安低な世の中では、戦争がやりやすくなるものです。今度の選挙で、与党が3分の2位上を獲得し、平和憲法の改憲を言い出すでしょう。戦争によって、軍産が儲ける社会構造に向かって行くでしょう。そのためにも、多くの人たちが不安低でなければなりません。そして、不安低の人たちの中から、サラリーを得るために戦場へと送り出される人が出るでしょう。一部の金持ちや、制服組は、決して戦場へは行きません。戦場へ行き、武器を消費し、命も消費させられるのは、不安低な人たちではないでしょうか。
中東で、どうして争いが絶えないのでしょうか。それは、その地域の人たちが不安低にさせられているからで、サラリーを得るために戦場で銃を撃っているのではないでしょうか。戦争は、兵士に払う給料と武器を買うお金がないとやっていけません。誰が出しているのでしょうか、そこに軍産の「マッチポンプ」があることを思わざるを得ません。アルカイダ、そしてISIS、次は何なのでしょうか。いつも悪役をさせられているのはイスラムです。というと、本当の悪者は、それと反対の・・・・。
そんなことを考えると、今、日本が不安低にさせられているのは、これからしようとしている大きな目的があってのこと、あるいは地ならしではないかと思わざるを得ません。私の考えが、単なる心配であることを願っています。いずれにしても、今、どうして不安低なのか、これから何が起ころうとしているのか、人は知性をもって考える必要があるような気がします。