融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「2040年、ジェノサイド追悼記念式典にて」という芸術作品

2024年10月28日 | 日記

 「マスコミに載らない海外記事」さんのご紹介です。私のような語学に不勉強な者でも、海外の識者が伝えていることを翻訳してくれているので大変勉強になります。タイトルは、「イスラエルの完全な狂気」で、筆者は「メディアは強力なマインド・コントロールの道具として機能している・・・」という点について論じています。興味深い内容でしたのでご紹介します。

 最後の方で、「2040年に世界中でイスラエルによりパレスチナ住民が大量殺戮された16周年の追悼式典が行われた」というフィクションの短いドラマがありました。トルコの映像会社が制作したとのことです。メディアは強力なマインドコントロールの道具として機能していますので、ドラマの奥にある意図は何かと思いつつ、見てみました。

 ドラマはフィクションですが、ジェノサイドが行われていることは事実であり、沖縄の平和の礎のような形でやがて後の世代に語り継がれて行く可能性が大きいことはリアルに感じられます。追悼式典を通じて、子どもたちを含むパレスチナ住民が大量殺戮された資料に触れて学ぶ子どもたちが、自分の親やおじいちゃん、おばあちゃんに問いかけます。「なぜ?」、「おじいちゃんは、大量殺戮が行われたときに何をしていたの?」、「どうして?お母さん」、「私たちと同じ様な子どもが殺されていたんだよ」、「どうして?」と、民族を超えて同じ問いかけがなされています。それらの問いに、大人は一言も答えられません。16年前の大虐殺のときに、何もしなかったからです。だから、肝心なことに何も答えられないのです。

 あまりにシンプルなメッセージなので、マインドコントロールとかプロパガンダとかが入る隙間もありません。自分が問われるだけです。この芸術的な映像を作るにあたり、トルコ政府も少なからず関わっているようです。しかし、何か政治的なプロパガンダがあるようには感じられませんでした。このドラマが問うているのは、最後の字幕に簡潔に示されているのかも知れません。私なりに読み取れば、今、イスラエルによるジェノサイドでパレスチナ住民が殺戮されているが、それらを傍観するならば、人類の心や人間性までも殺戮されるのと同じではないのか?そう感じました。

 

 

 

 


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明日は礼拝です

2024年10月26日 | 礼拝のご案内

 明日10月27日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「公正は愛」、賛美歌は「賜物と歌を」、「ガリラヤの風」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 最近のテレビのニュースや新聞からは、想像力が膨らんでくるような論調が見られません。この場合の想像力とは、伝えられている事柄を深く掘り下げるということです。テレビのニュースや新聞では、時間の制約とかスポンサーの意向があり、字数の制限もあり、その中で数多くの内容が扱われています。仕方ないと言えば仕方ありませんが、本来はじっくりと内容を掘り下げて、深く考えなければならないことまでも流されてお終いになりがちです。

 できれば、日本のテレビやニュース、新聞だけではなく、外国で何がニュースとして伝えられているのかを知ることができれば、より想像力が湧いてくるのではないかと思います。最近では翻訳を通して、外国のニュースや著名人が語るニュースを簡単に見ることができるようになり、語学の弱い私にとって大変感謝しています。下記サイトは、たくさんの人たちの論考が紹介されています。画像をクリックするとサイトに移動できます。

 

 そのサイトの中で、元CIA分析官をしていたラリージョンソンという人が書いた記事に、イスラエル軍の兵士が命令に従いガザで行った殺戮によって自らの命を絶ったという内容があり、重く考えさせられました。ご紹介したいと思います。下記の画像をクリックすると、記事のサイトに移ります。

 しかし、不戦の誓いや平和憲法を掲げていたはずの日本が、先制攻撃も辞さない、核兵器の共有も考えるようになるとは、火遊びにも程があります。政治は、憲法の範囲内での活動が許されています。政治家は、ルールを守りましょう。政治家がルールを守らないと、多くの人たちもルールを守らない世の中になってしまいます。明日は、選挙です。ルールを守らない候補者や政党に一票を投じるのか、ルールを守る候補者や政党に一票を投じるのか、有権者の判断にかかっています。

 


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明日は礼拝です

2024年10月19日 | 礼拝のご案内

 明日10月20日(日)は、信徒伝道礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「愛」、教会員が奨励してくださいます。賛美歌は「賜物と歌を」、「ガリラヤの風」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 礼拝にて、米寿を迎えられる教会員の祝福を行います。礼拝後には、米寿のお祝い愛餐会があります。神と人とに愛されて、地域でお元気に米寿を迎えられることを感謝いたします。これからも、お元気でありますように。

 生きられるということは、本当に素晴らしいことですし、有り難いことだと思います。反対に、戦争によって巻き添えを食って一般市民が殺され放題という状況があります。近年では、SNSを通して戦場の現実を世界中の人びとが知ることができます。イスラエル軍がガザの一般人である女性や子どもを狙って殺戮を繰り広げていますが、無残に殺された子どもの前で親が泣き崩れる様子を見ると、戦争とはろくでもないものだから、平和のための努力は惜しんではならないと思わされます。

 現実もあり、フェイクもありますが、それを見極めるのには、総合的な情報の質と量にかかっています。所謂大本営発表というものは、プロパガンダなので現実を知ることにはなりません。たくさんの情報を見比べて、総合的に判断するしか現実を知る方法はありません。

 「祈り」が神さまに聞き入れられるものだと仮定しても、いくら「平和になりますように」と祈っても、一方で「戦争になりますように」と祈っている人がいるのですから、状況は変わらないのかも知れません。変えられるのだとしたら、自分を変えるしかないと思う今日この頃です。

 


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「律法よりも愛」

2024年10月19日 | 聖書のお話

「律法よりも愛」 ヨハネによる福音書 11章45~54節

 当時のユダヤ社会では、ローマ帝国の支配からの独立を目指してしばしばクーデターが起こり、その度にローマ軍によって粛清されていました。クーデターが起こるのは、神の民であるユダヤ人がローマ帝国の支配下ではなく、独立国家であるべきとの律法に基づく信仰心からの考えでした。当時、ユダヤの人々の中には、イエスさんがローマ帝国からの独立を果たしてくれる指導者であると考える人々もいたようです。

 当時のユダヤ社会では、ローマ帝国の支配下にありつつも自治が許されていました。ユダヤ社会を指導していたのは大祭司や他の指導者たちで、ユダヤ社会の運営については最高法院という議会が担っていました。ユダヤ社会の指導者たちは、ローマ帝国に対するクーデターを必ずしも支持していませんでした。クーデターが起こっても、多くの人々がローマ軍に殺され、ユダヤ社会の指導者という自分たちの地位も失って終わることが予想されたからです。だから、クーデターに発展する前にイエスさんを殺してしまうことがユダヤの社会全体のために得策であると、律法に基づく信仰心からそう考えました。

 律法に基づく信仰心からクーデターを起こしても、律法に基づく信仰心からクーデターの芽を摘んでも、律法に基づく信仰心を実現しようとするとき、少なからずの人が殺され、血が流されてしまいます。しかし、神さまが律法を定めて信じる民に求めているのは、互いに愛し合うことなのです。

 


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明日は礼拝です

2024年10月12日 | 礼拝のご案内

 明日10月13日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「律法よりも愛」、賛美歌は「賜物と歌を」、「ガリラヤの風」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 コロナ騒動の時期に、人と人との関わりが制限せざるを得ない状況に陥り、改めて人は関わりの中で生きていることを考えさせられました。そこから、キリスト教の最も原点と思われるイエスさんの愛の教えに立ち返っているところです。イエスさんはたくさんの教えを残していますが、兎に角愛を中心に据えて学び直し、自らの生き方の糧にしたいと願いつつ過ごしていました。

 そのような中、世界では争いがエスカレートする一方になり、恥ずかしながらそのことをきっかけに歴史を学び直しているところです。それは、争いの原因を知り、少しでも争いのない未来に向かうためにはどうしたら良いのだろうかとの思いからでした。そうすると、実は紛争の背後にキリスト教やキリスト教と関わりのある宗教がらみの問題があることを今さらながら理解することができました。

 勿論、信仰心がすべて悪いと言っているのではありません。他人を殺してはいけないと思わせる信仰なら、ウエルカムです。悪いのは、自分と違う宗教を否定したり、宗教を利用して政治運動や選挙に動員をかけたり、霊感商法などのお金儲けを企むことです。麻生議員や石破議員はクリスチャンですが、石破議員は軍事オタクと言われていて、特に戦争反対を唱えている訳ではないようです。

 信仰や宗教が、必ずしも世界中の人びとの平和を願い、互恵の精神で共に生きるという考えになってはいません。アメリカの先住民を殺したのもクリスチャンですし、広島と長崎に原爆を投下したのもクリスチャンです。「クリスチャンって、酷いよね」と言われても、仕方ないと思います。今だけ、カネだけ、自分だけと一緒です。

 これまで頑張ってきたつもりですが、他人の考えや社会を1ミリでも良い方向へと変えることはできませんでした。さしあたって自分ができることは、自分を変えることしかできないということを改めて気づかされている今日この頃です。

 

 

 


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