教育の文字が表している意味について考えてみました。
一つ目は、教育の「教」は教えること。教育の「育」は育てること。もっぱら、小さい子どもに向けてのアプローチを思い起こします。音楽やスポーツなど、小さいうちから学ばせると、より上手になると言われています。
二つ目は、高校生くらいになると、教えるだけではなくて、教わろうとするようになり、育てられるだけでなくて育とうとするようになることを思い起こします。この年齢になると、一方的に教えるというより、興味のある部分を伸ばして行くような学びがふさわしいのかもしれません。
三つ目は、ある程度の年齢になると、教えられたり、育てられたりすることに反発し、受け付けることもできなくなるといったことを思い起こします。この年齢になると、自ら学ぼうという意思がなければ何も学べなくなるものです。
そう考えると、教育とひとくくりにできないものがあり、上手にやらないといけないものだと思わされます。
最近、新聞でコロナ下で小中学校の不登校生徒が増加しているといような記事を見ました。いじめも原因にあるようなことも書いてありました。私は、教育の失敗が不登校の原因でもあるのではないかと考えています。小中学校の年齢での問題は、大人の責任だと思います。いじめと言えば、子ども同士のせいにしているようで、何だか大人が責任転嫁しているようで解せません。
一方で、現場の教師ばかりの問題でもありません。教育機関の問題、国の行政の問題の方が大きいのではないかと思います。カルト宗教に傾倒した自民党議員が行政の大臣をしています。これが、現場で様々な問題が起こっている根本原因だろうと思います。この状況を変えないとどうしようもありません。