融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2018年03月31日 | 礼拝のご案内

 

 明日4月1日(日)は、教会暦でキリストの復活祭、イースターです。午前9時から教会学校、午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「ガリラヤでお目にかかれる」です。讃美歌は「聖霊によりて」(今月の歌)、「ハレルヤ、ハレルヤ(たたかいは終わり)」、「キリスト・イェスは」です。礼拝にて聖餐式、礼拝後は祈りの一時、愛餐会があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。午後2時からは、香住教会のイースター礼拝です。こちらも、どなたでもご出席ください。

 ところで、今日で2017年度も終わり、明日4月1日から2018年度が始まります。多くの祈りとご支援をいただいたことを感謝いたします。新しい年度も、感謝の気持ちを忘れずに、寄せられている期待に応えることができるように頑張りたいと思います。

 


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「死ぬほどの悲しさ」

2018年03月31日 | 聖書のお話

「死ぬほどの悲しさ」 マルコによる福音書 14章32~42節

 イエスさんは、ゲッセマネという場所に来られました。そこで、自分の歩むべき道を思い、恐れて悶え、悲しみのあまりに死にそうな気持ちになりました。イエスさんは、何が悲しかったのでしょうか。それは、弟子たちが十字架の死と復活を理解してくれなかったということではないかと思います。そんなイエスさんの心を静め、再び道を歩み始めることのできる力を与えたのは、神さまに対する真剣な祈りであったと伝えられているように思います。

 イエスさんは、神さまに自分が受ける苦しみを取りのけてくださいと祈りました。しかし、神さまのお考えの通りにしてくださいとも祈りました。そこに、神さまに対する信頼が表されているように思います。ところが、イエスさんから「祈っていなさい」と言われていたにも関わらず、弟子たちはイエスさんが祈っている間に眠りこけてしまいました。イエスさんは、弟子たちを起こし、再び「祈っていなさい」と言われましたが、弟子たちは3度も眠りこけてしまいました。

 イエスさんが悲しくて死にそうになったのは、弟子たちの無理解のためでした。私たちなら、祈ることができずに眠っている弟子たちを見たら、さらに悲しんでしまうことでしょう。けれども、イエスさんは祈ることによって力が与えられたので、弟子たちを責めるのではなく、起こして立ち上がらせ、共に歩むべき道を指し示してくださいました。そうである以上、私たちもまた真剣に祈ることが求められているのではないかと思います。

 


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明日は礼拝です

2018年03月24日 | 礼拝のご案内

 明日3月25日(日)は、教会暦でしゅろの主日です。またこの日より、受難週が始まります。午前9時から教会学校、午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「死ぬほどの悲しさ」です。讃美歌は「丘の上の主の十字架」(今月の歌)、「血しおしたたる」(1~3)、「血しおしたたる」(4~6)です。礼拝後は、祈りの一時、会堂清掃、お茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。午後2時からは、香住教会の礼拝です。こちらも、どなたでもご出席ください。

 今年の冬は大雪に見舞われ、またとても寒かったです。暖かくなったかと思うと、寒さがぶり返したりと、体も疲れ気味です。当初、自分が歳を取ったので、こんな風に感じているのかなと思っていましたが、周りの人も同じようなことを言われていますので、やっぱり気候が厳しかったのだろうと思います。

 そういうわけで、受難節も慌ただしく過ごしていました。何か特別の行事はしませんでしたが、祈るための時間を普段よりも長く取るようにしました。そんなこともあったのか、3月もとても長く感じられました。その割には、仕事がはかどらずに、タイトなスケジュールになり、悲鳴を上げているところです。

 しかし、いよいよ明日、しゅろの主日を迎えます。

 


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「仕える人になる」

2018年03月24日 | 聖書のお話

「仕える人になる」 マルコによる福音書 10章32~45節

 イエスさんは、エルサレムに上って行く途中、ご自分の死と復活を予告されました。従う者たちは、イエスさんの態度と言葉に圧倒され、恐れてしまいました。人間的な思いによって、復活を理解できない者たちの姿が伝えられているように思います。また、弟子の二人が「先生、栄光をお受けになるとき、一人を右に、一人を左においてください」と願い出ました。イエスさんの受ける栄光を、この世的な権力と勘違いしている姿が伝えられているように思います。

 イエスさんは、二人に向かって「私が飲む杯を飲み、私が受けるバプテスマを受ける受けることができるか」と問われました。二人の弟子は、「できます」と答えました。それは、復活を理解できず、この世的な理解しかできない二人なりに、イエスさんと寝食を共にしたり、福音を宣べ伝えるお手伝いをしますという意味であったのかも知れません。

 イエスさんは、復活を理解できない、この世的な理解しかできない二人に向かって「その通りになる」とさえ言ってくださり、共に歩んで行ける道を示すために、「偉くなりたい人は、仕える人になりなさい」との教えを示されました。イエスさんは、無知であるものをも従うことを赦してくださる愛を示されました。そうである以上、信仰者であろうとするならば、「偉くなりたい人は、仕える人になりなさい」との教えを誠実に受け止めるべきではないかと思います。

 

 


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こりゃなんだ

2018年03月24日 | 日記

 こりゃ驚きました。

 あれだけヘーコラして、靴ナメナメみたいなことまでして、「思いは同じだ」みたいなことまで言って、そもそも信頼関係どころか外交の成果もあげられなかったということでしょう。

 終わりの始まりでしょうか。それなら、レイプ、モリ、カケ、スパ、その他の犯罪、全部暴かれて、昭恵さんもキチッと証言し、韓国の元大統領のように潔く逮捕されて欲しいと思います。安倍政権は、ホントやり過ぎだと思います。

 安倍政権の元では、気がついたら日本が破壊されていたということになってしまいます。

 

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