明日8月29日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「悔い改める」、賛美歌は「このこどもたちが」、「この世はみな」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしています。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。礼拝後は、祈りの一時、会堂清掃、お茶の一時を予定していますが、いずれも参加人数が多い場合は行いません。コロナ渦にあってのお守りと、各地で災害に見舞われた方々の慰めと励ましをお祈り申し上げます。
「裁くのではなく成長を」 マタイによる福音書 13章24~30節
イエスさんは、「天の国は次のようにたとえられる。」と言いました。たとえで語られているのは、<ある人が良い麦の種を畑に蒔いた後、敵が来て畑に毒麦の種を蒔いてしまった。芽が出て実ると、毒麦も実っていることに気がついた。僕たちは毒麦を抜きましょうかと主人に尋ねたが、主人は刈り入れまで両方育つままにしておき、刈り入れの時に毒麦を集めて処分し、良い麦は倉に入れなさいと指示をした。>というものでした。
イエスさんは、畑を人間にたとえています。人間は、イエスさんの愛の教えによって良い実を結ぶこともできる一方、悪い実を結ぶこともあります。だからといって、悪い実を取り除くのではなく、天の国に迎え入れられる時までそのままにし、良い実と悪い実が両方育つようにしました。これは、自分の中の悪い実を取り除くという方法よりも、天の国に迎えられるためにイエスさんの愛の教えによって自分の中の悪い思いと闘うことを通し、人間的に成長することが求められているのではないかと思います。
明日8月22日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「裁くのではなく成長を」、賛美歌は「このこどもたちが」、「この世はみな」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしています。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。礼拝後は、祈りの一時、お茶の一時を予定していますが、いずれも参加人数が多い場合は行いません。コロナ渦にあってのお守りと、各地で災害に見舞われた方々の慰めと励ましをお祈り申し上げます。
「自分の命を捨てる」 マタイによる福音書 10章34~39節
イエスさんは、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」とか、「自分の家族の者が敵となる」と言いました。愛の教えを説くキリスト教なのに、争いや家族の対立を推奨しているのでしょうか。さらに「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」とも言いました。
これらイエスさんの言葉は、イエスさんが人々に愛の教えを宣べ伝えた際の対立や苦悩であったり、十字架による死と復活のことを物語っているようです。イエスさんを信じて従うとは、イエスさんの生き様に習うということであり、とどのつまり自分の命を捨てる覚悟があるのかが問われているのです。だからといって、イエスさんは、敵対したり命を捨てることを推奨しているのではありません。平和で互いに愛し合えるように、たとえ敵対してしまったとしてもそれを乗り越えて人を愛し続けることができる信仰を問うているのです。