「困難を前にして」 ヨハネによる福音書 16章25~33節
困難とは、自分を苦しめたりする問題などのことです。災害によって引き起こされたりもします。新型コロナ渦もその一つです。そのような困難を前にしたとき、私たちはまず困難の原因を考えます。次に、知恵を尽くし、努力の限りを尽くして対処の方法を探ります。その結果として、困難を乗り越えることができたなら、その困難は自分を鍛え、高めるためにあったのだと肯定的に受け止めることができたりもします。しかし、残念ながら困難を乗り越えることができず、万策尽きたと思うしかなくなったとしたなら、否定的になり、もはや神頼みしかできなくなってしまうところがあります。
一方で、私たちには、十字架によって苦しみを受けられ、復活を通して死に勝利され、そうして私たちを罪のない者としてくださったイエスさんを神と信じる信仰があります。それは、神であるイエスさんが約束されたように、聖霊が困難を前にしている私たちを助け導いてくださることを信じて疑わないということでもあります。私たちの信仰とは、万策尽きて最後にたどり着く神頼みのような信仰ではなく、困難に直面している私たちが挫けてしまって否定的にならないように、最初から与えられている力なのです。そのような信仰に支えられている者は、自然と生き方にも違いが現れるものではないかと思います。