融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2021年03月27日 | 礼拝のご案内

 明日3月28日(日)は、しゅろの主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「ろばに乗るイエス」、賛美歌は「十字架のもとに」、「暗いゲッセマネ」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしています。まだまだ風が冷たいので、寒さ対策をされてお越しください。礼拝後にお茶の一時を予定していますが、中止する場合もあります。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。

 この時代に生きる一人の人間として、状況に応じて言葉を発する責任があると思っているのですが、肉体的・精神的に困難を抱え、年度末の締めの作業という大きな責任も抱えていますので、最近はメッセージと礼拝予告くらいしかエントリーできていません。エントリーの内容によっては嫌な人もいるかと思いますので、これはこれで良いのかも知れません。また元気になったら、人に嫌がられるようなエントリーでも、自分が大切だと思ったらupしたいと思います。

 


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「イエスさんの杯」

2021年03月27日 | 聖書のお話

「イエスさんの杯」 マタイによる福音書 20章20~28節

 弟子のヤコブとヨハネの母親が来て、イエスさんに「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」と言いました。彼女がイメージしたものは、この世の権力者の姿でした。それは、多かれ少なかれ弟子たちも持っていたイメージでもありました。イエスさんは、「あなたがたは、自分が何を願っているのか、分かっていない。」と言いました。イエスさんが目指していたものは、この世の王になろうとするのではなく、失われた羊とされた人たちを始めとして全ての人たちを救おうとすることだったからです。

 またイエスさんは、二人の弟子に「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」と言いました。イエスさんの杯とは、十字架の苦しみを担うという意味でした。それに対して、二人は「できます」と答えましたが、二人がイメージしていたのは過越祭の宴席での杯であったのだろうと思います。弟子たちがイエスさんの杯の意味を理解できたのは、ずっと後になってのことでした。私たちもまた、イエスさんの教えを自分がイメージできる範囲でしか理解できないところがあります。イエスさんは、だからこそ神さまを信頼して委ねて生きなさい、偉い者になりたいと思うのではなく弱い立場の人たちに仕える者になりなさいと教えてくださったのです。

 


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明日は礼拝です

2021年03月20日 | 礼拝のご案内

 明日3月21日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「イエスさんの杯」、賛美歌は「十字架のもとに」、「暗いゲッセマネ」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしていますので、寒さ対策をされてお越しください。状況によっては中止しますが、礼拝後にお茶の一時があります。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。

 本日午後6時頃、宮城県沖を震源とする大きな地震が起こりました。石巻で震度5強とのことで、1メートルほどの津波も観測されているようです。ここのところ、大きな地震が続いているようで不安になります。大きな被害が出ないことを願っています。

 


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「復活するまで」

2021年03月20日 | 聖書のお話

「復活するまで」 マタイによる福音書 17章1~13節

 イエスさんは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登られました。そのとき、イエスさんの姿が変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなりました。そして、モーセとエリヤが現れ、イエスさんと語り出しました。また、光り輝く雲に覆われ、雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声がしました。弟子たちは、それらを非日常的な出来事として受け止めました。一同が山から下りるとき、イエスさんは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられました。

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年が経ちました。たくさんの尊い命が津波によって奪われ、住む場所も仕事も失い、福島原子力発電所の過酷事故によって被爆し、住む場所さえ奪われ、多くの人々が今もなお苦しんでいます。東日本大震災は、想像を超えた大災害ですが、それを語り伝えるとき、非日常的な出来事として伝えてはならないと思います。非日常的な出来事とは、どこか他人事でもあるからです。そのような他人事の思いは、支援の政策を打ち切っても良いという考えに至ります。イエスさんは、十字架の苦しみと復活を知っている者ならば、東日本大震災の出来事を他人事として語り伝えてはならないと教えているのではないかと思います。

 


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明日は礼拝です

2021年03月13日 | 礼拝のご案内

 明日3月14日(日)は、3.11東日本大震災を覚えての礼拝として守ります。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「復活するまで」、賛美歌は「十字架のもとに」、「暗いゲッセマネ」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしていますので、寒さ対策をされてお越しください。状況によっては中止しますが、礼拝後にお茶の一時があります。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席ください。

 東日本大震災から10年になりました。ニュースなどで特集も組まれ、あの日の出来事を振り返る機会も与えられました。立場を変え、自分が被災者であったとしたら、その時の心の傷は癒えないままだろうと思います。よく、もう10年も経ったのだから、災害のことは忘れて自立しなさい、甘えるなというようなことを言う人がいます。それができる人はそうしたらいいし、それができない人に他人がえらそうに言えるものではないと思います。被災者が安心して暮らせるにはどうしたら良いのか、被災地の復興にはどうしたら良いのか・・・、慰めと平安を祈るばかりです。

 

 

 


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