融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2024年11月30日 | 礼拝のご案内

 明日12月1日(日)は、第一アドヴェント礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「血筋ではなく愛」、賛美歌は「主を待ち望むアドヴェント」(1番)、「見張りの人よ」です。礼拝後は、祈りの一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 今年のクリスマスは、正直お祝い気分になれません。イスラエルがこの一年ほどでガザ、ヨルダン、レバノンで一般市民を大量虐殺しました。その数は、ヒズボラ、ハマス、イランが過去40年間で一般市民を殺した数を遙かに超えているとのことです。テロリズムとは、政治的目的のために民間人に暴力をふるうことであると定義されています。つまり、イスラエルという国は、テロ国家であるということです。イスラエルという国は、ユダヤ教国とされています。キリスト教はユダヤ教から派生した宗教ですし、イエスさんもユダヤ人です。そんなことを考えると、心中穏やかにクリスマスをお祝いすることなどできないのです。

 しかし、ユダヤ教徒全員が大量殺戮を支持しているのかというと、そうではなくややこしい話があります。イスラエルという国の構成員はユダヤ人なのですが、ユダヤ人には本当の意味で昔からのユダヤ人もいれば、歴史の中でユダヤ教に改宗したユダヤ人の血筋でない外国人もユダヤ人として存在しているのです。有名なのは、八世紀のハザール王国が王から奴隷に至るまでユダヤ教に改宗してユダヤ人になったという話があります。ユダヤ教では、ユダヤ教に改宗したらその人はユダヤ人になるという考えなのです。例えば、私がユダヤ教になったら、同時にユダヤ人になるというのです。

 現在、元々ユダヤ人でない改宗してユダヤ人となった人たちが、大量殺戮を行っているのです。現在、イスラエルのユダヤ人の写真を見ると、どう見ても西洋人みたいな人がいるのは、そういう理由なのです。元々のユダヤ人の顔は、パレスチナに住んでいる人たちと同じなのです。だから、イスラエル軍がガザやヨルダンやレバノンで一般市民を大量殺戮しているのを批判するとき、「イスラエルが」と一括りに言えないところがあります。元々のユダヤ人は、初めから人殺しに反対しているからです。

 おまけに、キリスト教の特に保守的な教派は、イスラエルのテロリズムを支援したりもしています。このようなややこしい問題を理解し共有することは、私の貧弱な頭では難しいのです。さりとて、現在の状況を無かったことにして、何のわだかまりもなくクリスマスをお祝いすることなど私はできません。「キリスト教はクソだ」と言われるなら、その通りですとしか言いようがありません。イエスさんなら、現在の状況を喜んでいないだろうし、このような状況で自分の誕生日を祝って欲しいとも思わないでしょう。イスラエルという国の自称ユダヤ人と称する改宗したユダヤ人たちの中のテロリストの犯罪が断罪され、一日も早くパレスチナに平和が訪れることを願ってやみませんが、みんなおかしいのでそうならないのではないかと思う今日この頃です。

 


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「収穫物は愛」

2024年11月30日 | 聖書のお話

「収穫物は愛」 マタイによる福音書 13章1~9節

 イエスさんは、湖の畔に出かけて舟に乗りました。自然豊かな中で、岸辺にいる大勢の群衆に種を蒔く人の譬えを語りました。種を蒔く人は、不思議なことに道端であろうが、石だらけの場所であろうが、茨の間であろうが、良い土地であろうが、あまり気にせず種を蒔いているようです。良い土地に蒔かれた種は、たくさんの収穫物を生じさました。種には生命力があり、良い土地であれば自ずと成長して何十倍もの実を結ぶのは当たり前のことです。

 この譬えには、種蒔く人が土を耕し土地を良くするという描写がありません。どちらかというと、種がどこに落ちても気にしていないようです。この譬えの「種」とは、イエスさんの伝える愛の教えです。つまり、愛の教えを宣べ伝えるのが種まきであり、その種がどこにでも蒔かれていると同じように、愛の教えは誰にでも分け隔てなく宣べ伝えるべきことが教えられているのです。

 良い土地とは、環境に恵まれた人のことであり、愛の教えを聞き入れ、他の人たちにも愛を宣べ伝えようとする立派な人たちのことです。けれども、この種まきの譬えは、そのような恵まれた人たちのようになりなさいというのではなく、環境の異なる人たちにも分け隔てなく愛を宣べ伝えなさいという教えなのです。イエスさんが教える愛は、立場の違う人と人とが互恵の精神によって助け合い、分かち合い、喜び合って生きることができるようになる収穫物なのです。

 


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明日は礼拝です

2024年11月23日 | 礼拝のご案内

 明日11月24日(日)は、収穫感謝礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「収穫物は愛」、賛美歌は「花彩る春を」、「いつくしみ深い」です。礼拝後は、祈りの一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 過日、SNS祭りが盛大に行われていたようですね。日頃、SNSなど見ない私は、そういったことを後で知りました。選挙では、誰が一番役割に相応しいかが争点なので、その点で熟慮した上での投票行動なら結構なことだと思います。けれども、SNSでこう言っていた、あー言っていたでは、それは本当にあなたの判断なのかと思ったりします。しかし、どのような判断をしようとも、それはその人の力量を超えた判断はできないという制約がありますので、そういったことを含めて、その人が判断されたということで尊重されるべきでしょう。

 いずれにしても、選挙では役割を果たしてもらうために選んだのですから、それ以外の余計な問題など起こさず、十二分に与えられた役割を果たしてもらいたいものだと思います。過日の祭りでは、事前にチラシを配って情報をインプットさせ、当日にリアル販売員が熱弁を振るって熱狂させ、商品を買わせるというアレ、羽毛布団販売の件を思い出しました。今後の選挙でも、過日のような祭りは流行になるやも知れませんから、市民も近年の情報社会に対応したスキルを身につけることが求められるのではないかと思わされている今日この頃です。

 


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「完全は愛」

2024年11月22日 | 聖書のお話

「完全は愛」 マタイによる福音書 5章38~48節

 イエスさんは、「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。だれかが右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」と言いました。

 『目には目を、歯には歯を』とは、仲間内で争って仕返しをした場合、受けた損害以上に相手を傷つけてしまったら、許されない罪を犯すことになるということです。イエスさんは、仲間に対して罪を犯さないようにするには仕返しをしないことであると教えました。また、窮乏する仲間に求める以上のものを惜しまず与えることが、仲間に対する愛であると教えました。

 イエスさんは、「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」と言いました。イエスさんは、外国人は敵であると考えられていた時代に、仲間内に対して罪を犯さず愛し合うのと同じように外国人にも接し、争い合うのではなく共存するための道を示しました。神は愛であると教えられています。その神の子になるとは、人を分け隔てせず、完全に愛することなのです。

 


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明日は礼拝です

2024年11月16日 | 礼拝のご案内

 明日11月17日(日)は、主日礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「完全は愛」、賛美歌は「花彩る春を」、「いつくしみ深い」です。礼拝後は、祈りの一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 日本や世界各地で選挙が行われていますが、アメリカの大統領選挙に注目してみると、そこから感じられるのは、少数の超富豪と呼ばれている人たちがお金を沢山出して候補者を支援しているということです。そうすると、当選後にはお金を沢山出した者たちの影響を受けることが容易に想像できます。選挙という民主主義の手続きを踏んでいますが、実態は少数の超富豪の意向が大きく反映されるようになっています。これは、どこの国の選挙でも類似性があるのではないでしょうか。

 日本の選挙では、約半数の有権者が投票を放棄しています。政治不信などの様々な理由があると思いますが、想像するに、少数の超富豪はお金を出して自分たちの押す候補者を応援していると思います。そうすると、日本の政治もまた、少数の超富豪の意向が反映されたものになるというのが道理です。しかも、選挙で投票を放棄している約半数の「一般庶民」は、黙って従うばかりという状況です。これをもって、「一般庶民の奴隷根性」と評されたりもしています。なぜなら、権利を放棄して従うばかりが奴隷の姿のようだからです。

 総じて民主主義とは、全体の意見が満遍なく反映されるようにすることが理想です。そのためには、有権者全員が選挙で投票して意思を示すことが求められます。国民皆が関心を持つような情報発信がなされ、興味を持ち続ける胆力も必要です。受け身的な姿勢ではなく、自ら知ろうとし、常に考えて行動し、加えて自らの考えを円滑に人と共有するスキルも求められます。

 改めて、民主主義とは全員参加が原則なんだなぁと考えさせられています。だからこそ、なぜ約半数の有権者が選挙での投票を放棄するとかを検証し、全員が選挙で投票するように持って行くことが大事なんだなぁ、と考えさせられる今日この頃です。それと、つくづくちゃんと勉強しておけば良かったと後悔しています。少年老い易く学成り難しです。

 

 

 

 

 


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