明日12月1日(日)は、第一アドヴェント礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「血筋ではなく愛」、賛美歌は「主を待ち望むアドヴェント」(1番)、「見張りの人よ」です。礼拝後は、祈りの一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。
今年のクリスマスは、正直お祝い気分になれません。イスラエルがこの一年ほどでガザ、ヨルダン、レバノンで一般市民を大量虐殺しました。その数は、ヒズボラ、ハマス、イランが過去40年間で一般市民を殺した数を遙かに超えているとのことです。テロリズムとは、政治的目的のために民間人に暴力をふるうことであると定義されています。つまり、イスラエルという国は、テロ国家であるということです。イスラエルという国は、ユダヤ教国とされています。キリスト教はユダヤ教から派生した宗教ですし、イエスさんもユダヤ人です。そんなことを考えると、心中穏やかにクリスマスをお祝いすることなどできないのです。
しかし、ユダヤ教徒全員が大量殺戮を支持しているのかというと、そうではなくややこしい話があります。イスラエルという国の構成員はユダヤ人なのですが、ユダヤ人には本当の意味で昔からのユダヤ人もいれば、歴史の中でユダヤ教に改宗したユダヤ人の血筋でない外国人もユダヤ人として存在しているのです。有名なのは、八世紀のハザール王国が王から奴隷に至るまでユダヤ教に改宗してユダヤ人になったという話があります。ユダヤ教では、ユダヤ教に改宗したらその人はユダヤ人になるという考えなのです。例えば、私がユダヤ教になったら、同時にユダヤ人になるというのです。
現在、元々ユダヤ人でない改宗してユダヤ人となった人たちが、大量殺戮を行っているのです。現在、イスラエルのユダヤ人の写真を見ると、どう見ても西洋人みたいな人がいるのは、そういう理由なのです。元々のユダヤ人の顔は、パレスチナに住んでいる人たちと同じなのです。だから、イスラエル軍がガザやヨルダンやレバノンで一般市民を大量殺戮しているのを批判するとき、「イスラエルが」と一括りに言えないところがあります。元々のユダヤ人は、初めから人殺しに反対しているからです。
おまけに、キリスト教の特に保守的な教派は、イスラエルのテロリズムを支援したりもしています。このようなややこしい問題を理解し共有することは、私の貧弱な頭では難しいのです。さりとて、現在の状況を無かったことにして、何のわだかまりもなくクリスマスをお祝いすることなど私はできません。「キリスト教はクソだ」と言われるなら、その通りですとしか言いようがありません。イエスさんなら、現在の状況を喜んでいないだろうし、このような状況で自分の誕生日を祝って欲しいとも思わないでしょう。イスラエルという国の自称ユダヤ人と称する改宗したユダヤ人たちの中のテロリストの犯罪が断罪され、一日も早くパレスチナに平和が訪れることを願ってやみませんが、みんなおかしいのでそうならないのではないかと思う今日この頃です。