短歌道しるべ(5)
*短歌の「古めかしさ?」(その2)
旧かな:文語には旧かながあうとよくいわれます。そういった雰囲気はよく分かります。しかし、「ゐ」「ゑ」は違和感を持つ人も多いし、読みにくい場合も少なくありません。(「言ふ」「みづ=水」「表はす=表わす」など)だから、私は、「新かな」「旧かな」を選べるときには「新かな」表記を使うことにしています。また一首のまかや、歌集のなかでは、どちらかに統一しています。(この統一するということは歌壇の一致した考え。「アゐすクりィむ」ではおかしいでしょう?)
定型:短歌は5・7・5・7・7の5句31音からなる定型詩です。この「型」を「古めかしく窮屈だ」と考える人が多いようです。特に現代詩を書いている人たちのなかには。ところが、その詩人たちの間で、
「口語自由詩の不自由さ」
という言葉がしばしばかわされます。短歌は「型」があるから自由だというのです。「型にはまっているからこそ自由だ」ということでしょうか?ある詩人の話をまとめるとこうです。
「口語自由詩には『型』がないから、新しく詩を書くたびに形式を考えなくては いけない。これが大変なのです。」
ここで意見が分かれます。
◎一方は、「この大変さ=不自由さが、現代詩の面白さなのだ」と口語自由詩を書き続ける人。
◎一方は、「そういう大変さは回避して、言葉そのものだけに集中したい」と現代詩をやめ、短歌を始める人。
どちらが優れているかという話ではないのですが、大変面白いことだと思います。ある人が言いました。
「わかるような気がしますわ。子どもの『ここからここまでで遊べ』といえば、思いっきり遊ぶやないですか。」