H氏が、「上手いけど、臭いな」と言ったのは僕の心にグサリと来た。当時の僕は「上手い歌=良い歌」と考えていたからだ。
だがH氏の指摘には、あらがえない何かがあった。
H氏の話を総合するとこうである。
「どこかで聞いた様なフレーズ、どこかで誰かが詩に書いた様な情景が多い。そして古語が目立ち過ぎる」
つまり彼に言わせれば「古めかしい言葉を使って、ごまかしながら内容が類型化している。」と言うのである。
少々むかっ腹を立てたが、その直後にいくつかの歌誌を読むと、H氏の言葉と似た記事があった。
或る歌人曰く、「あまりにも古めかしい言葉を使うのは慎むべきだ。」また或る歌人曰く、「パターン化しないためには、常に心を新鮮に保つ必要がある。」と。
そのH氏に「運河」に送った僕の歌稿を読み上げ意見を聞いた。(彼によれば自分で暗唱出来ない短歌はダメだそうだ。これにも一本取られた感じがした。)
H氏の答えは「うん。これは心に響くものがあるな嘘がない。」
「嘘がない」。彼は事実を詠めと言っているのではない。「文学は創作活動だから、事実を並べただけでは詩にならない。正岡子規の写生論も、ものごとの本質を捉えるという考え方に裏打ちされているはずだ。」
と彼はよく言ったものだった。僕が「運河の会」に入会するずっと以前のことである。
この一連のH氏の言葉を近頃とみに重く感じる様になった。「ものごとの本質を捉える」とはどういうことか。「自分に嘘をつかない」とはどういうことだろうか。
(続く)