ブナの木通信『星座』79号より
短歌は詩であり、文学である。とすれば、人間や社会を深く掘り下げたものが秀歌であるとも言える。今号はそういう作品に注目した。
(うっぷんをはらしキャベツを刻む歌)
何のうっぷんかはわからない。作者の心に消化しきれない蟠りがあるのだろう。キャベツを刻んでゆくにつれ、それが一つ一つほどけていくのだろう。実感のこもった一首である。
(戦勝国の老兵の言葉を詠った歌)
作者は英国在住である。英国は、第一次、第二次大戦の戦勝国だ。しかし二度の大戦を経て、英国は経済的・政治的に衰退した。戦争は勝敗の如何にかかわらず国に打撃をあたえる。戦勝国の側から見た戦争観。作者の独特な見方である。
(自らの愚かな行いを語っても心が晴れない歌)
自分を愚かと断定するのは苦しい。勇気も要る。口に出したところで心が晴れることはない。それを素直に詠んだのが成功した。人間としての苦悩が垣間見える。
(若葉の山に日が差す歌)
若葉の山に差す日の光が魂を浄化するように感じられるのであろう。結句がやや中途半端に終わっているのは工夫の余地があろう。
(心が徐々に満たされてゆく歌)
これも魂の浄化と言っていい。上の句の比喩に独自性がある。みずからの願望が次第にかなっていく有様を言い当てている。
(夕方の棚田の歌)
棚田は山の頂近くまで続く。平地の狭い日本ならではの風景だ。アメリカではこうはいかない。自然と一体となって働く人の姿を的確にとらえた。
(仏像の全身を撫でる自分のよく深いのを詠った歌)
みずからを「よく深き」と言う作者だが、厭味はない。生きようとする意欲が強いからである。それを率直に詠んだのが成功した。「欲深き」はあるいは謙遜か。