「短歌研究」3月号の特集は「現代女性歌人作品集」だった。サブタイトルは「よろこびもかなしみも-歌は人々とともに-」。140人の歌人が出詠し、うち36人がエッセイを載せている。ひとり7首だが合計すると928首。総合誌としては珍しい大アンソロジーだった。
テーマは当然、東日本大震災が念頭に置かれている。震災以後1年。それを直接扱わず、いわば「生と死と」を詠んでいる。ライトバース歌人も、表現の抑制の効いた奥深い作品をよせている。テーマがテーマだけに、当然だろう。ニュウウェーブの歌人ははいっていない。
そのなかに見知った名前が。「星座」の尾崎左永子主筆と選者奈賀美和子。近しい人だ。そのほかにも、歌集を頂いた方、僕の歌集の批評を「運河」誌上に書いてくださった方、僕の第三歌集に感想をよせて頂いた方、いままさにその返事を書こうとしている方、どこかの集まりで挨拶、名刺交換した方、ツイッターでやりとりした方も。またそれぞれの方の作風が現れていて、引きつけられた。総ページ89ページに及ぶ。
ここでは作品に添えられた一首鑑賞エッセイを抄出したい。
:尾崎左永子:悲しみの質感
・オリーヴのあぶらの如き悲しみをかの使徒も常に持ちてゐたりや・斎藤茂吉「白き山」
激しい戦争が終わった後、茂吉は疎開先の郷里金瓶村から大石田に移ったが、じきに重い病にかかる。そして病後、最上川にかかわる秀歌が生まれたのは周知のこと。この一首はその時代の作である。戦時と戦後の、一人一人の苦痛は、今はもう、知らない人の方が多くなってしまったが、ここに掬い上げられた「オリーヴ油」という悲しみの形容は、新しい感覚であると同時に、言い難い実感を伴っている。・・・
:大塚布見子:
・この山に桜を植ゑて年どしに花ひらくとふ聞く悲しさ・島木赤彦「太虗集」
大正12年9月、関東大震災があった。その年10月、赤彦は満州に渡り日露戦争の激戦地旅順の二百三高地に登り何首かを詠み、「白玉山は旅順戦死者納骨堂のあるところ」と詞書しての一首である。/昨年の東日本大震災の記憶も生々しいが被災地のそこここには桜が植えられている。・・・
:奈賀美和子:
・にんじんは明日蒔けばよし帰らむよ東一華の花も閉ざしぬ・土屋文明「山下水」
掲出歌は、ともすれば点のようになってしまう私の心を押しひらく、呪文にも似た一首である。二度、三度、小さな声に諳じているうちに、図鑑でしか知らない東一華の白い花が花を閉ざしてゆく静かな景が浮かび、次第に息が楽になる。・・・
:松村由利子:
・さがし物ありと誘ひ夜の蔵に明日征く夫は吾を抱きしむ・成島やす子「昭和万葉集・巻6」
20代半ばのころ、大岡信のコラム『折々のうた』でこの哀切きわまりない歌を知った。『昭和万葉集・巻6』(講談社)には、太平洋戦争中に作られた歌が収められている。吉川英治や北原白秋の開戦の歌、宮柊二の中国戦線の歌から、ごく普通の市民が日々の暮らしや家族への思いを詠ったものまで、戦時のさまざまな局面が胸を打つ。・・・
:香川ヒサ:
・沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ・斎藤茂吉「小園」
昭和20年秋の歌である。/敗戦が当時の人々にどれはどの衝激を与えたのか、敗戦後の日本しか知らない私にはとうてい推し量ることはできない。が、終戦時に22歳だった母によれば、「ああ、これで空襲はもうないんだな」と思ったそうで、一般に敗戦そのものは災害からの解放くらいに受け止められたに違いなく、むしろ敗戦後の現実に出会った時受けた衝激の方が大きかったのではないだろうか。・・・
エッセイの多くが戦争に関してのものだった。東日本大震災はそれほど衝激が大きかったということだろう。多くの人が亡くなった。作品の多くも挽歌だったように思う。短歌作品の中では、松村由利子が「ノアの洪水」を詠い込んだものがあって、今回の津波を連想させる。歌集「大女伝説」からまた一歩進んだ詠みぶりに好感が持てた。(それに比べて笹公人の「短歌時評」は。男は立ち遅れているのか。)
*僕の第一歌集「夜の林檎」は品切れ。
第二歌集「オリオンの剣」はアマゾンで中古本として出品中。
第三歌集「剣の滴」はアマゾン、楽天 books などや、
全国の書店で注文出来ます。*
付記:画面右側の「カテゴリー」の各項目をクリックすると関連記事が標示されます。
画面左側の「フェイスブック」をクリックすれば画面が切り替わります。
テーマは当然、東日本大震災が念頭に置かれている。震災以後1年。それを直接扱わず、いわば「生と死と」を詠んでいる。ライトバース歌人も、表現の抑制の効いた奥深い作品をよせている。テーマがテーマだけに、当然だろう。ニュウウェーブの歌人ははいっていない。
そのなかに見知った名前が。「星座」の尾崎左永子主筆と選者奈賀美和子。近しい人だ。そのほかにも、歌集を頂いた方、僕の歌集の批評を「運河」誌上に書いてくださった方、僕の第三歌集に感想をよせて頂いた方、いままさにその返事を書こうとしている方、どこかの集まりで挨拶、名刺交換した方、ツイッターでやりとりした方も。またそれぞれの方の作風が現れていて、引きつけられた。総ページ89ページに及ぶ。
ここでは作品に添えられた一首鑑賞エッセイを抄出したい。
:尾崎左永子:悲しみの質感
・オリーヴのあぶらの如き悲しみをかの使徒も常に持ちてゐたりや・斎藤茂吉「白き山」
激しい戦争が終わった後、茂吉は疎開先の郷里金瓶村から大石田に移ったが、じきに重い病にかかる。そして病後、最上川にかかわる秀歌が生まれたのは周知のこと。この一首はその時代の作である。戦時と戦後の、一人一人の苦痛は、今はもう、知らない人の方が多くなってしまったが、ここに掬い上げられた「オリーヴ油」という悲しみの形容は、新しい感覚であると同時に、言い難い実感を伴っている。・・・
:大塚布見子:
・この山に桜を植ゑて年どしに花ひらくとふ聞く悲しさ・島木赤彦「太虗集」
大正12年9月、関東大震災があった。その年10月、赤彦は満州に渡り日露戦争の激戦地旅順の二百三高地に登り何首かを詠み、「白玉山は旅順戦死者納骨堂のあるところ」と詞書しての一首である。/昨年の東日本大震災の記憶も生々しいが被災地のそこここには桜が植えられている。・・・
:奈賀美和子:
・にんじんは明日蒔けばよし帰らむよ東一華の花も閉ざしぬ・土屋文明「山下水」
掲出歌は、ともすれば点のようになってしまう私の心を押しひらく、呪文にも似た一首である。二度、三度、小さな声に諳じているうちに、図鑑でしか知らない東一華の白い花が花を閉ざしてゆく静かな景が浮かび、次第に息が楽になる。・・・
:松村由利子:
・さがし物ありと誘ひ夜の蔵に明日征く夫は吾を抱きしむ・成島やす子「昭和万葉集・巻6」
20代半ばのころ、大岡信のコラム『折々のうた』でこの哀切きわまりない歌を知った。『昭和万葉集・巻6』(講談社)には、太平洋戦争中に作られた歌が収められている。吉川英治や北原白秋の開戦の歌、宮柊二の中国戦線の歌から、ごく普通の市民が日々の暮らしや家族への思いを詠ったものまで、戦時のさまざまな局面が胸を打つ。・・・
:香川ヒサ:
・沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ・斎藤茂吉「小園」
昭和20年秋の歌である。/敗戦が当時の人々にどれはどの衝激を与えたのか、敗戦後の日本しか知らない私にはとうてい推し量ることはできない。が、終戦時に22歳だった母によれば、「ああ、これで空襲はもうないんだな」と思ったそうで、一般に敗戦そのものは災害からの解放くらいに受け止められたに違いなく、むしろ敗戦後の現実に出会った時受けた衝激の方が大きかったのではないだろうか。・・・
エッセイの多くが戦争に関してのものだった。東日本大震災はそれほど衝激が大きかったということだろう。多くの人が亡くなった。作品の多くも挽歌だったように思う。短歌作品の中では、松村由利子が「ノアの洪水」を詠い込んだものがあって、今回の津波を連想させる。歌集「大女伝説」からまた一歩進んだ詠みぶりに好感が持てた。(それに比べて笹公人の「短歌時評」は。男は立ち遅れているのか。)
*僕の第一歌集「夜の林檎」は品切れ。
第二歌集「オリオンの剣」はアマゾンで中古本として出品中。
第三歌集「剣の滴」はアマゾン、楽天 books などや、
全国の書店で注文出来ます。*
付記:画面右側の「カテゴリー」の各項目をクリックすると関連記事が標示されます。
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