この特集で取り上げられているのは、正岡子規、佐佐木信綱、斉藤茂吉、前田夕暮、尾上芝舟、窪田空穂、北原白秋、釈超空の6人。
それぞれの歌人の歌論と実作が紹介されている。ここでは近代短歌を切り開いた歌人の業績が紹介されている。写生派あり、浪漫派あり、写生と言っても正岡子規と斎藤茂吉ではよほど違う。短歌が言葉遊びになってきたようで数年前から僕は危惧を抱いている。
『短歌研究』12月号の座談会で「短歌は趣向だ」という議論が交わされている。「塚本邦雄が短歌の遊びの要素を復活させた」とも語られている。「遊びを否定したのはアララギの呪縛だ」とも発言されている。
だがちょっと待てよ。佐佐木信綱の作品のどこに言葉遊びがあるか。前田夕暮のどこに言葉遊びがあるか。
また正岡子規や斎藤茂吉の作品にユーモアのある作品がないとでもいうのか。「アララギの呪縛」とは言いすぎだろう。
星座の尾崎主筆がしばしばいう。「近代短歌に学べ」。「今は短歌の端境期だから仕方がない面もある」。
近代短歌の遺産は大きい。永田和宏の『近代秀歌』を読んでもわかる。また中世の古典和歌にも言葉遊びはある。だが大真面目で遊んでいる。何より美しい。それを見ないで「文体の新しさ」だけを追い求めると誰が一番奇抜なことをするか、思い付くかの競い合いになりはしないだろうか。
その意味で『うた新聞』5月号の特集は有意義だと思う。続編を期待したい。