岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「角川短歌」3月号:「震災大特集」歌人は何を考えてきたか

2012年02月28日 23時59分59秒 | 総合誌・雑誌の記事や特集から
 今回の企画の特徴は「世代Ⅰ」「世代Ⅱ」に分けて座談会をしていること。そのⅠとⅡが25年ほど離れている。

 世代1は来嶋靖生、佐藤通雅、沖ななも、渡英子。世代2は田中濯、光森裕樹、三原由起子、石川美南。昭和20年代生まれから、昭和50年代生まれ(来嶋のみ昭和一桁生まれ)。昭和30年代・40年代生まれは「中抜き」の形。

 僕はこれを「戦争と60年安保、70年安保を知る世代」と「その影響を全く受けていない世代」と読んだ。社会との関わりの仕方が全く違うので、こういう人選になったのだろう。司会は双方とも小高賢。

 こころに掛った発言をアトランダムに引用する。(=・・・)は僕のコメント。

;世代Ⅰ:

・「(阪神淡路大震災のとき)遠くのほうで見て詠んでいるだけのつまらない歌がたくさんありました。・・・しかし今回実際に現場に立って、私は言葉を失ってしまった。まだ自分で歌が出来ない状態です。・・・やはりこういうことは体の中、心の中に深く沈めて、温めて、それから詠まないと自分の歌にならないのではないか。」(来嶋)

・「現地を見たか見ないかによって歌人たちの歌の深みが全く違ってきた。現地を見た人はほとんどショックを受けている。さらに、いわばプロの歌人たちが総合誌を中心にして震災をかなりうたいました。しかし、今回の震災詠はプロの歌人のものではなくて、大衆の歌人のものだろうと確信を持って言えるような気がします。・・・原子力関係の多くの著書を読むことで、戦後のあり方、あるいは僕らの生き方自体を変えなければいけないと思います。」(佐藤)

・「短歌表現の歴史のなかでも一つの画期というか、裂け目が生まれたような気がするのです。安易にできないぞという感じ。このくらいすごい大災害ですとね。」(小高)

・「情報を含めて、まだ混沌としている時期ではないですか。だからどううたうんだと突き付けられると難しい。」(沖)

・「情報が制限されているところで表現していくことを恐れなければいけないということをここで学んだということは大きなことではないですか。」(渡)

 (=この世代は戦争や、60年安保・70年安保を体験した世代。戦中のプロ歌人の短歌は国策に沿って、大本営発表の通りの短歌を作った。60年・70年安保では、大量の「安保詠」があったが、秀歌として残っているのはほとんどない。そういうことを知っているからこそ、言葉を失ったり、慎重になっているのだと僕は思う。渡の発言は今さらという感じがしないでもないが、事実を突きとめよう、真実を見極めようという姿勢は全員に共通するようだ。)


:世代Ⅱ:

・「『私性(わたくしせい)』を回避または逃避している方がいらっしゃいますが、そういう歌人は震災を歌にできません、ということです。」(田中)

 (=ちょっと違うぞと僕は思う。理由は世代Ⅰの末尾に書いた。)

・「『短歌は思想の器である』という戦後最大の資産を失うことになってしまうので、これを詠まなければいけないということです。」(田中)

 (=気持ちはわかる。わかるが「前衛短歌見出した戦後最大の資産」というのは、かなり思い込みが過ぎるのではないか。そう思うなら、先ず、「未来」の加藤治郎や、笹公人にぶつけてみてはどうだろうか。「『未来』の大会で加藤治郎に論争を挑む者がいない」と岡井隆が嘆いている。先輩に敬意を払いつつ論争を挑むのは出来るはずだ。僕は経験済み。)

・「私は実家が浪江町で、原発から10キロ圏内にあります。・・・今までは自分の生活の一部くらいの感じで作っていたのですが、声を上げる手段として作っていかなければいけない文学や歌壇の中だけではなくて、一般の人にも訴えたいような気持ちになりました。」(三原)

 (=これは実感がこもっている。だがその「声を上げる」というのが実は難しいのだが、これからを期待したい。)

・「今になって思うと、震災後の1か月、短歌や文学を自分の心を守るために使い切ったという感じがあって、震災前にもっと自分の心や言葉を鍛えておくべきだったのに間に合わなかったという反省がありました。」(石川)

 (=これも正直なところだろう。今後彼女の短歌作品や、短歌観がどうなって行くのか注目していきたい。)

・「(栗木京子と米川千嘉子の作品に関し)被災地の近くにいた訳ではないと思うのですが、自分が思っていることが素直に詠まれているのがよかった。・・・(小島ゆかりの作品は)いわゆるテレビ詠とは全く違うところで、歌として成立している。事件の大きさや、起こっていることを読み手にいろいろ考えさせる点でいい歌だと思って、メモしました。」(光森)

 (=そうだ。現地にいるかいないか、映像かどうかが問題なのではなく、「心の距離」「われにどう引き寄せるか」が問題なのだ。僕の場合、冷静に判断し自分の問題として詠めるまで、半年かかった。)

・「一つの方法としては、短歌には挽歌という形式・歴史があるのだから、それを用いて死んだ人を悼むことです。自分の苦しみを控えて他者の死を悼む。それが大前提だと思います。」(田中)

 (=この意見に三原も賛同しているが、これこそ「心の距離を縮める」ことにほかならない。その通りだ!それでこそ田中のいう「思想」も共感を呼ぶ!読者の共感を得るというのはポピュリズムとは違う。読者に感動をつたえ得るか否かの問題だ。もしかしたら挽歌以外の方法も見つかるかも知れない。頑張れ20代の諸君!)

 *僕の第一歌集「夜の林檎」は品切。
    第二歌集「オリオンの剣」はアマゾンで中古本として出品されています。
    第三歌集「剣の滴」はアマゾンほかで、又は全国の書店で注文できます。*


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