日本歌人クラブ会報「風」195号
『2016年版 現代万葉集』より「私の選んだ十首」
数ある作品の中で東日本大震災から4首。芸術から4首、宗教から2首を選び批評を書いた。
「災害・芸術・文化といった素材は固有名詞が多く情感が固定され説明となりがち。そこで印象鮮明で言葉の生きのよいものを選んだ。短歌を『定型の現代詩』とすれば、成立の条件は印象に強さとリズム感だ。直観的にニ十首選び更に十首に絞った。多くの作品を割愛したのをお断りしておく。災害・環境は社会への視点、芸術・文化は鑑賞眼がためされる。」
この批評は総論だ。説明を排するには、先ず安易に固有名詞に頼るのを避けねばならない。固有名詞がなくても東北の被災地とわかる工夫が必要なのだ。次に自分とのかかわり。当事者である必要はない。内容が他人事にならない配慮が必要だ。そして切り取りの視点。着眼点の独自性がなければその他大勢の短歌になってしまう。
また社会の在り方に異議を申し立てる要素が必要だ。プロパガンダにならないような配慮も必要だ。思想が血肉化して自分のものになっていなければいけない。自分で判断できない「思考停止」では作品にならない。作品にはその人の価値観や思想が投影する。広義のイデオロギーだ。思想のない言葉遊び、機知の類は手帖の落書きにでもしておけばよい。
芸術文化についても、自分の立ち位置が必要だ。人間を表現するのが芸術だ。例えそれがシュールリアリズムであってもだ。短歌作品はその芸術作品を素材にするのだから、芸術作品に内包された。人間観、美意識が短歌のなかで再構築され、その芸術作品を見ていない人にも印象が鮮明に伝わらなければただの紹介、宣伝になってしまう。
こういう視点で選歌し批評文を書いた。「『現代万葉集』は素人の作品だから選べと言われてもこまるんだよね。」と尊大なことを言っていた歌人がいたが。そんなことはない。プロの歌人だから作品の質が高いとはいえない。まして歌人の最低条件は短歌での収入が1000万円だ。などと公言する歌人は論外だ。