「運河」誌の「作品批評」にとりあげられた一首。「形状記憶合金」という言葉からの連想がはたらいた。
この頃は家にこもることが多いが、以前は湘南の海をよく見に行った。鎌倉を中心に和賀江島・材木座・由比ヶ浜・稲村ケ崎・七里ガ浜・江ノ島。
そのたびに寄せては返す海波や海岸の岩盤を叩いてくだける波に見入ったものだった。なかでも幾度も足を運んだのは稲村ケ崎。上空を鳶が飛ぶ。帽子が飛ばされるほど風が強い。思い出すのは源実朝の代表歌だった。
・大海の磯もとどろに寄する波われてくだけてさけて散るかも・
長い時間のスパンで見れば、波は大きさも高さも形も変わるはずだが、海岸に立っている間は、同じことの繰り返しに見える。
不思議でも何でもないのだが、何故か心が騒いだ。「波がどうして立つのか」といった科学的なことは、詩の表現の埒外。「波の繰り返し」が一首の中心である。
原作の結句は「寄せては返す」だったが、表現が平板なので歌集掲載の時に改作した。