2001年第47回角川短歌賞受賞者の第二歌集「眼鏡屋は夕ぐれのため」。メルヘンを感じさせる一冊である。(新カナ・口語文語混合文体)
「かばん」所属。ここには先生というのはいないという。「批評はあるが添削はない」とも聞いた。谷川俊太郎もおなじようなことを言っているが、「現代詩」の世界である。「かばん」のメンバーの多くも、絵本の製作・詩の翻訳などに携わっている。
この歌集の特徴の一つ。短歌というより、「象徴詩」であるということ。
・雪の日に雪より冷えてなお灯る ガラスは窓の肉体として・
・太陽にみな連られてゆく夕べあなたはたったひとりの走者・
などにそれがあらわれている。一冊をよんでいると「やわらかい言葉に包まれていくような感覚」をいだく。さしずめ童話の世界。読者の想像力がかきたてられるのが魅力である。
文体は口語を中心に、文語をとりいれている。ほぼ年代順に作品が並んでいるが、前半は完全な口語歌であったものが、後ろにいくほど文語の比重がふえてくる。大まかに言うと、後半の部分では口語:文語の比率は7:3くらいであろうか。文語と口語がほどよくミックスされているよう。文語の比重が増えていくにつれ、作品に厚みが出てくるように思う。作風が童話的性格をもっているところからすると、このくらいの比率が適当かも知れぬ。新カナ表記だが、文語の比率が低いぶんだけ全く気にならない。文語・口語の比率、カナ表記の問題も、一首の内容に依るのだろう。正岡子規・斎藤茂吉・佐藤佐太郎も「語調のありかた」についてのなかで「一首の内容がふさわしい語調を決定する」と異口同音に言う。
この一冊の場合「一首の内容が、表記の在り方を決定する」とでも言えようか。
将来の短歌の方向としては、こういうものもあるのかと思う。僕にとっては後期象徴派詩人、吉田一穂を読むきっかけとなった一冊だった。(2006年・角川書店刊)