・しづまりし色を保ちて冬に入る穂高の山をけふ見つるかも・
「白桃」所収。1933年(昭和8年)作。岩波文庫「斎藤茂吉歌集」176ページ。
茂吉の自註から。
「昭和8年10月20日私は改造社員大橋松平氏と共に信濃の上高地に旅して< 高山国吟行 >と題して135首ばかりの歌を、雑誌短歌研究に発表したのであった。・・・これは数の上からいへばいかにも大作であるが、どうしても希薄にならざるを得なかった。併し天然の風光は無限に豊富であるから、中には只今読んでも棄てがたいものが幾首かあって、ことにああいふ場合に、短日月にそれを歌に纏める実行の点で修業になった旅であった。・・・これから先き、どれだけ勉強せねばならぬか分からぬときに、かうして無理して歌をつくるといふことも、邪道の場合ばかりでないとおもった。」(「作歌40年」)
「晩秋、初冬の穂高を詠んだもので、山は秋の美しい色がやうやく寂びて来て、これから冬に入らうといふときには、何ともいへぬほどの静寂になる。・・・< 雪ふる前の静寂 >である。それを見て自分は一首作らうと欲してこれを作った」(「作歌40年」)
もう戦争は始まっていた。本土はまだ戦時下と言うほどではなかったにせよ、国際連盟脱退に国がこぞって湧いた年である。「白桃」は茂吉の第10歌集だが、次の「暁紅」「寒雲」「のぼり路」「霜」は戦中歌集である。(岡井隆著「茂吉の短歌を読む」によれば「白桃」「暁紅」「寒雲」を戦中三歌集と呼ぶ。)
きなくさい事件が相次ぐ。熱河戦闘(日本軍が山海関を越えて華北に攻め込む)、国際連盟脱退、滝川事件(京大への学問統制・滝川教授追放)、11月事件(軍部クーデターの発覚)、ワシントン条約破棄(海軍増強開始、米英との対立激化)。
まさしく日中戦争前夜のひとときの静寂。「雪ふる前の静寂」とはこのことかと思わせる。叙景歌という「写生」の基本に戻った感がある。
塚本邦雄の言う「(茂吉の)謙遜を含めた、しかも初心に還った趣の述懐の試み」である。
佐太郎はこう言う。
「穂高岳が目の前にそびえているのを、単純におおどかに表現している。草木のない岩石だけの山肌には季節の感じはないが、雪の降るまえの沈鬱な山容が作者の見たものである。」(「茂吉秀歌・下」)
「しづまる」は主に音や状態の形容だが、「しづまりし色」と表現するところが「詩的把握」と言っていいだろう。「冬に入る」はこれからの厳しい冬を予感させる。これが暗示である。佐太郎は「季節の感じはない」と言うが、それは秋の季節感のこと。冬を前にした一種重々しい情感が伝わって来る。
この作品などを見ると、この時期が「白き山」「つきかげ」の絶唱の準備期間であるような感じさえして来る。この叙景歌の重厚さは伊藤左千夫ゆずりのものだろとも言えよう。「みちのくの農の子」(西郷信綱)の面目躍如ではあるまいか。