佃煮。これを僕は江戸っ子の偉大なる発明と思っている。ご飯の副食としてはこれほど効率のいいものはない。
佃煮が小皿に一皿あれば、茶碗一杯分のご飯の副食としては充分である。味にコクがあり甘辛く煮てあるため、飽きが来ない。試しに同量の漬物と比べてみるといい。種類にもよるが漬物はおしなべて辛い。
栄養分のことはよくわからぬが、佃煮の原料は小魚・貝・肉など。野菜を原料とする漬物より、副食としてはより相応しいと思う。
昔、佃島などの新開地に住む職人たちは、飯と佃煮を弁当箱につめて現場での昼食にしたとも聞く。人間の歴史が刻まれた名前である。
もともとは江戸時代、江戸の新開地であった佃島で作られたことに由来するのだが、今は東京以外で作られても「佃煮」。地名が料理の名前に残った。
江戸深川では、あさりのむきみを煮たものを丼飯にのせてたべた。これを深川丼という。長屋には、あさり・しじみの剥き身をつくる専門の「店」があった。「店」と言っても「九尺二間の裏長屋」である。東京の深川江戸資料館にはこのような江戸の長屋が再現されていて、天井や壁ののスクリーンに空が映し出され、40分ほどで日の出から日の入りまで疑似体験できる。
食べ物の名前にも、人間の歴史は残る。「佃煮」「深川丼」。それを食べた長屋の人々や職人の姿が思い浮かぶ。贅沢ができなかった江戸時代の人間の知恵ともいえよう。
言葉には歴史だけでなく、生身の人間の生活もまた刻印されている。ここに生活詠の成立する条件がある。