・高倉の床に蘇鉄のあかき実を乾せり古代の風ふくところ・
「群丘」所収。1959年(昭和34年)作。
佐太郎による自註がある。
「安木屋場(あんきやば)という部落に着くと、高倉という床の高い建物があった。南方系の様式で、日本の古代をしのばせる。床に朱い蘇鉄の実が乾してあった。紬を織る機の音がきこえていた。」(佐藤佐太郎著「作歌の足跡-< 海雲 >自註-」)
高床式倉庫というと、静岡県の登呂遺跡にある横長の倉庫をイメージしがちである。しかし奄美大島のそれは形が違う。三角錐に近い高倉が4本柱で支えられ、高さは3メートルほど。入り口は倉庫の底面からの押し上げ式。ねずみ返しは鉄板を張ってある。そして4本柱の地面近くが吹きさらしの「床板」が貼ってあり、蘇鉄の実がほしてあったのは、おそらくその「床板」の上なのだろう。佐太郎が「南方系の様式」と書いているのはそのためであろう。
長々と書いてきたが、これは全て捨象・削ぎ落とすべきことがらなのだ。なぜなら、短歌は高倉式倉庫の様式の解説のために詠うものではないからだ。
だから「高倉の床」「蘇鉄のあかき実」「古代の風」の三つの語だけに先ず注目すべきである。この三つの語だけで詩情は十分である。「高倉の床」に「蘇鉄のあかき実」を乾しているところに生活感がある。遺跡の復元された「高床倉庫」ではない。「蘇鉄」によって島の風土がにじみ出る。「あかき実」がそれにたたみかけるように南国の印象を鮮明にしている。ここまでが具象。「古代の風ふくところ」。ここが作者の感受・主観である。古代の風が現代に吹くはずがない。リアリズムの立場だったら批判の的となるだろう。「写実派」の立場からしても思い切った表現である。ここに見えるものだけを表現するのではない佐太郎短歌の真骨頂がある。
また、三つの語句の声調にも注意が必要だ。「高倉の床」「蘇鉄のあかき実」「古代の風」。「・・・の・・・」が三度くりかえしている。「の」のひびきが心地よい。しかも最後の「古代の風」は読者にとって一種の驚きである。(岡井隆のいう「そうなるのか」)
余剰なものの捨象、主観の表白、声調、転換。佐太郎の作品の特徴がよく出ている作品と言えるだろう。