・天空に竜の形の雲のあり地に幾筋の光を降らし・
・エーテルの匂漂うような朝おもおもとして春の雪降る・
・白き石また白き石続きたる水無川に菊芋が咲く・
・雑炊に葉物野菜をとりまぜぬわが体内を浄めんまでに・
・夏至前後青草しげる廃屋の庭より猫の声が聞こえる・
この5首は、多くは過去の記憶に基づくもの。以前見た光景、以前体験したこと。これらは余剰が排されて、感動の中心だけが心に残っている。そこがポイントなのだ。
与謝野晶子が「写生はその場で詠まねばならないので不便だ」と言った時、斎藤茂吉は次の様に言った。
「その場で詠んでもいいし、何年も経ってから詠んでも一向に構わない。」
何年も経つと、印象が凝縮されるようなところがあって、感動の『核』のみが残る。案外こうした詠み方が成功することが多い。
つまりは「様々なものを見」「様々な体験をする」ことが重要なのだろう。
一首目は2年ほど前。二首目は昨年の3月。三首目は10年ほど前。四首目は現在。そして五首目は30年ほど前の記憶にもとづいている。
先輩の歌人がこういった。
「一流の絵を見て、優れた映画を見たり、いい音楽を聞く事が大事だ。」
佐藤佐太郎の「純粋短歌」には「体験」の一章がある。つまりは「感性のアンテナ」を張り巡らせるのが重要なのだろう。