岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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鶴岡八幡宮献詠式:ここにも大震災の影響が

2011年04月06日 23時59分59秒 | 作歌日誌
「わが古代人は純にして撲、健にして剛、直にして真であった。」(「短歌初学門」)岩波文庫「斎藤茂吉歌論集」348ページ。

 斎藤茂吉をはじめ「アララギ」の歌人たちは万葉集の古代的なものを摂取した。この古代信仰的なものに近代的文学思潮を結合させたのが斎藤茂吉である、と岡井隆は言う。(岡井隆著「茂吉の短歌を読む」)

 現代でも神社が「短歌」の献詠式を行うのは珍しくない。もっとも神社の方では「和歌」という。古代信仰の儀式的要素のみをもつ「和歌」と、近現代文学としての「短歌」は質が異なるものだが、そこは神官の方は区別しない。

「短歌は御詠歌や道歌とは違う」と佐藤佐太郎も言うが、自分の目で確かめずに意見を言うのも難があると思い参加した。

 会場は鶴岡八幡宮舞殿で、かの静御前が舞を舞ったという場所。昨年倒れた大公孫樹のすぐ前だった。そこにテントが二張り据えられて、参加者が着席する。寒い風が吹き抜ける。午後1:00開始だったが、昼食を適当に済ませたので、体温が刻々と奪われていくのがはっきりわかる。コートも手袋も役にたたない。

 献詠式は神社の祭祀のひとつとして行われ、祭主と呼ばれる神官と宮司が時代劇さながらの装束姿である。中世からの神社だけに衣冠束帯で灼を持ち木靴をはいている。

 昨年は大公孫樹が倒れ、その一周年の祭りを行った翌日に「東北関東大震災」が起ったとのことで、「献詠式」を2年連続、落ち着いておこなえなかった。今年は中止にしようかと思ったと宮司は述べた。

 そういえば祝詞にも「治承・寿永の世の乱れを頼朝が収めた」という意味の言葉があった。加えて源実朝は正岡子規も讃える万葉調の歌人であるし、鶴岡八幡宮としては「和歌」を以て世の平安を願うのは、宗教者としては格別の意味があるのだろう。

 題詠は「樹または生」である。入選者の中の何人かが今回の震災の被災者で表彰式に出席していないのが痛々しかった。大船駅前で県立大船高校の生徒達が並んで義捐金を募っていたので、わずかばかりだが募金した。震災の影響はこんなところにもあらわれている。



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