・栗の花おぼろに見ゆる月夜にて翅音(はねおと)のなき蝶もくるべし・
「群丘」所収。1959年(昭和34年)作。
佐太郎の自註がある。
「青山の家の庭に一本の栗の木があって、花季には二階の書斎からおぼろに白い花が見えた。蝶は蛾とちがって夜は飛ばないといわれるが、必ずとばないとも限るまい。栗の花にまつわるようにしてとんだものはとびかたで蝶と思われた。・・・おぼろな花に夜の蝶がくるという夢幻の世界のようなところに心を遊ばせたので、< 翅音のなき >という言葉は働いているだろう。」(佐藤佐太郎著「作歌の足跡・-< 海雲 >自註ー」)
この作品には二つの注目点があると思う。
一つは下の句。「来るべし」の推量である。目で見たものをもとにして想像を膨らませている。かつて斎藤茂吉は「空想派」と伊藤左千夫から呼ばれたが、それを違った形で受け継いでいる。どう違うかというと、(例えば「赤光」の作品と比べると)茂吉のほうが粘着性があり、佐太郎の作品は透明感がある。濃度で例えると、茂吉の作品のほうが濃厚な印象がある。
二つめは佐太郎の自註にある通り、「(空想の中で)遊んでいる」ところである。佐太郎は別の所で、「遊び心があれば詩の味わいがますが、遊びが過ぎると厭味になる」という趣旨のことを書き残している。いわば、その辺りのことを計算した上での、表現である。「べし」と推量にしたことにより、ほどよい「遊び」になっている。幻想的な印象・趣に満ちた遊び。
茂吉や佐太郎の「写生・写実」と、土屋文明の「写生・写実」の違いがここにある。とすれば、この作品は「佐太郎らしい作品」と言えるだろう。
いわば佐太郎50歳の「夜の幻想詩」である。以前「夜の階段の人影」の作品を紹介したが、それはある種の緊張感があった。この作品はやわらかい語調が目立つ。これもこの作品の特徴のひとつと言ってよかろう。