「夜の林檎」所収。
プロメテウスの話を聞いたのは、キャンプファイヤーの点火式の「業務命令」が下ったときだった。
「キャンプファイヤーの点火式でこの話をするといい。」と一枚のコピーが渡された。そこに神話のプロメテウスの話がのっていた。
「昔、プロメテウスとエピメテウスという兄弟がいました。そのころの人間は火と言うものを知らず大変な苦労をしていましたが、全能の神ゼウスは火を人間に与えることを神々に禁じていました。・・・プロメテウスとエピメテウスの兄弟ははかりごとをめぐらして、ゼウスの目をかいくぐり太陽の火を持ち帰り、人間に与えました。そしてゼウスの罰を受けたのでした。・・・」
こんな内容が書いてあった。「業務命令」は、この話をとりいれてキャンプファイヤーの点火式を行えというものだった。
結果は大失敗。セリフは噛むし長引くし最悪。だがこの話は心に残った。ここ一番というときには、「おそれず、ひるまず、やらねばならぬ。」と思った。どこかの政治家のセリフとそっくりだが、その政治家の話の種も多分こんなところにあるのだろう。だが、こちらが先である。その政治家の演説は10年前。僕の経験は20年前だ。
失敗の原因は、他人の借り物の言葉で点火式をやろうとしたこと。だから翌年は、自分の工夫で点火式を引き受けた。アメリカ先住民の扮装をし、絵の具で頬にカラフルな筋を何本も入れた。松明を持ち「ハウ、ハウ・・・」と叫びながら何度も薪の周りをまわった。何周もした。心がたかぶってきた時に、全員を静かにさせるポーズをして、心に浮かぶ言葉を言った。内容は覚えていない。
だがセリフの最後は覚えている。
「・・・聖なる火よ。われわれの苦しみも悲しみすべて燃やしつくすがいい。」
こう言って松明をファイヤーサークルの中心の薪の中に放り込んだ。これは評判がよかった。とっさに出た言葉だが、実感がこもっていたらしい。
火の発見や発明についての神話は多い。ギリシャ神話のイカロスの話もそれにふくめていいだろう。イカロスは火をもたらしたのではないが、太陽に向かって飛び翼が溶けて地上に落下して死んだ。古事記では火の神を生んだイザナミノカミは自らの体を焼いて死んだ。
火の起源に関わる神話は死をもって終結することが多い。太古の人間が火を使うようになるまでの困難の大きさと、火を使うようになって生活が激変したことの痕跡を残しているのかも知れない。
こんなことに思いをはせながら、詠んだ一首である。