・青羊歯のかすかのにほひ息づくは遠き世よりの悲しみに似ん・
「群丘」所収。1959年(昭和34年)作。
先ずは「青羊歯」。「アオシダ」と読む。シダ類には「雄羊歯・雉雄羊歯(きじのおしだ)・孔雀羊歯・蕨」など様々あるが、ここは何でもよい。植物図鑑ではないのだから、「色鮮やかな青い羊歯」と捉えればよい。植物名は捨象したのだ。これを単純化・表現の限定・言葉の削ぎ落としなどという。
佐太郎の自註がある。
「羊歯は古生代からある植物だから、ありふれた草を見るのとは違う眼をもって、この庭草に対するときがある。特別な匂いもないが、< 遠き代より >と言って、何か感じを出せるようにおもったのである。」(「作歌の足跡-< 海雲 >自註-」)
古生代といえば、6億年まえから2億2000年前まで。恐竜の生きた時代より以前の、三葉虫の時代である。人間の生まれるはるか前だから、「遠き世」でなく「遠き代」なのである。この時代以降、数多くの生物が絶滅した。
三葉虫・恐竜・アンモナイトなど。シダ類も高さ数10メートルのものだった。多くの生物が絶滅し、シダ類も小型化して文字通り「日陰の身」となった。三葉虫にいたっては、その子孫のカブトガニが「生きている化石」と呼ばれる。
人の世の栄枯盛衰をはるかに超越したものを連想させる。佐太郎がそういう連想をしたかどうかは分からない。しかし、かかる連想を呼ぶところに佐太郎短歌の象徴性がある。事実を詠みながら、巧みに主観をしのばせる。
斎藤茂吉の短歌の「汎神論的」性格を違う形で受け継いだものであり、「象徴的写実歌」(岡井隆)と呼ばれる所以。また青羊歯を見て、「古生代」に連想が及ぶのは「読んでいくうちに、あっと驚く」(岡井隆)特徴をもつ。
もしかしたら、佐太郎の最大の理解者は岡井隆かも知れない。