・つぬさはふ岩間を垂るるいは水のさむざむとして土わけ行くも・
「赤光」所収。1908年(明治41年)作。
先ずは茂吉自身の自註を聞こう。
「従来の根岸派の歌風と幾らか異なっていたと見え、のち、これらの歌も邪道だとひょうした同人も一人ならずゐたのである。」(「斎藤茂吉集」巻末の記)
「つぬさはふ」は岩の枕詞。「さむざむとして」という口語的表現と、「さむざむ」という主観語、全体として繊細な表現。このあたりが従来の「根岸派」の歌風と異なっていたのだろう。
「赤光」には次のような作品もある。
・細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり・(1910年・明治43年)
・かがまりて見つつかなしもしみじみと水湧き居れば砂うごくかな・(1909年・明治42年)
冒頭の一首とほぼ同じ趣。
「細みづに・・・」の作品には自註がある。
「従来の根岸短歌会の歌風以外に幾分の変化と進歩とがあるやうに密かに思ってゐた。併し先進の同人の目から見れば、それが邪道の如くに取扱はれ、さういふ訴への言葉に左千夫先生も困られたことがあった。(同書)
また、「かがまりて・・・」の作品は「赤光」の習作期(森鴎外の「観潮楼歌会」に出席しはじめる前、(「赤光」ではそれ以前の数年の作品がひとくくりにされている。・明治38年から明治42年)にあたる。冒頭の一首もまたそうである。
斎藤茂吉は「写生が苦手」と長塚節に言われていたが、「塩原行」から徐々に叙景歌にも目をひらいていく。しかし、佐藤佐太郎の「茂吉秀歌・上」にも長沢一作の「斎藤茂吉の秀歌」にもとりあげられていない。
1909年(明治42年)以前の「つぬさはふ・・・」「かがまりて・・・」の2首はやはり「習作」というのが妥当だと思う。が、「従来の根岸派と趣が異なる」という意味で、重要な作品といえるだろう。