カバンの中にいつもワセリンを入れていた。「いた」と過去形で言うのは、使い切ったあとオロナイン軟膏にとってかわられたからである。
病気療養に入る前、学習塾勤務だった僕の出勤時間は午後1時半だった。出勤してから教室の掃除をし、授業準備をし、小さい庭の草むしりをすることもあれば、トイレ掃除もする。すべての事が終わるのが午後4時。
生徒が来るまで間があく。夕暮れ時にはまだはやいが、一瞬手持ち無沙汰になる。僕にとっての「逢魔が時」である。
そんな時に限って、指先の傷に気づく。一連の作業のどこかでついた傷だ。こんなことがしばしば起るから、カバンの中にバンドエイドとワセリンを入れて持ち歩いていた。ワセリンを擦りこむ。それをそのまま短歌にした。
「傷口・ワセリン・淡い陽光」これらの言葉が、暗示的だったらしく、「星座」誌上の「選者の通信欄」にとりあげられた。
僕自身は「傷口」という言葉がややわざとらしく感じられていたので、意外だった。まあ三つの言葉の組み合わせがよかったのだろう。歌集にも収録した。
この暗示的な雰囲気が「塚本邦雄的」だと言われたことがある。象徴性が高いということだろう。これはぼくにとっての最大限の賛辞だった。写実歌は突き詰めれば、高い象徴性をもつとそう思うからだ。
斎藤茂吉と塚本邦雄の距離が案外近いと無意識に感じ始めたのは、このころだったかも知れない。
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