「禁忌」は「タブー」と読ませる。2005年5月、胃がんを告知された一か月後、歌集の原稿を準備しているときに「運河」より執筆依頼が届いた。「巻頭八首」。初めての執筆だった。
「ひとつひとつ禁忌をこわす」にしたらどうかという意見も頂いたが、「自分にはもう時間がないかも知れないのでこのままに」ということで押し切った。
ほかの七首も一部は改作したが、ほぼそのままにしてもらった。そのかわり「ここはどうしてこの言葉でなくてはいけないか」という理由を便せん3枚にぎっしり書いた。
今にして思えば、これが禁忌をひとつこわしたことだったかも知れない。巻頭七首の中に、
・わが心知る人なからん おそらくは世に類(たぐい)なき直情なれば
というのもある。「あまり直情ぶりを発揮しないように」という葉書をもらったのを覚えている。しかし、文芸上の主張については引くに引けない時もあると今でも思っている。
名を残すかどうかは、結果論であって「懸命にいきること」がまず第一であるとは、癌の手術をしてICUと重篤病棟を経て一か月後に退院したときにしみじみ思ったことであった。