・鋪道には何も通らぬひとときが折々ありぬ硝子戸のそと・
「都市詠の開拓者」の一人と呼ばれる佐太郎の代表歌。歌集のタイトルの由来ともなった。
この一首には、坪野哲久も秀歌のひとつとして大きな評価をあたえている。アララギ出身の坪野なればこそ、この歌がアララギのなかでの新風であることが実感できたのであろう。
都市空間の一瞬の切り取りが見事である。この一首の作者は室内からガラス戸越しに歩道を見ている。人間などさまざまなものが通る。普通ならその通るものに目が行くものだが、この一首は「通らない瞬間」に焦点をあてている。
硝子戸といえば、「足袋干せる見ゆ」という正岡子規の一首が有名。病気のため床に伏したままの子規のために当時としては非常に珍しい硝子戸を、弟子たちが子規の病室に据え付けて、寝たまま庭が見えるようにしたもの。当時としては、「ガラス戸」も「足袋」も素材としても、詠い方としても新しかった。
佐太郎の一首も「何も通らぬひととき」、つまり一瞬の時間を捉えたところは従来の短歌になかったものである。「写生派」として「目に見えるものを詠む」ことが多かったなかで、「見えないこと」を詩的に捉えたことは、非常にまれだったにちがいない。
作品が詠まれたのは1936年(昭和11年)。大きな窓ガラスのある部屋、たとえば現代でいえば喫茶店の窓際の座席にすわっていた作者の姿を僕は想像した。「目に見えないもの」を詠みながら、作者の位置や姿まで連想させる。これもまた作品の魅力のひとつだろう。その意味で広がりがあるとも言える。
時代は、日中戦争が始まる前年であった。