・よもすがらひすがら海は音たえて白く凍りぬ知床の海・
「冬木」所収。1962年(昭和37年作)。
佐太郎の自註。
「時季は三月はじめである。流氷は風が変れば一夜のうちに沖に去ることもあるという。私は運がよければいまだ人の歌によまないものを見ることができるだろうとおもって昭和37年3月2日ただ一人東京をたって網走へ行った。」
「見ているのは瞬時の空間である。それに対して『よもすがらひすがら』(昼夜持続して)といったのは、こう言って瞬時の印象を表現しようとした。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
これには言葉をたす必要があろう。『昼夜持続して=瞬間』『永遠=一瞬』という哲学的意味ではなく、そう感じたという直感的なものだろう。推量の形にしなかったのは、想像で詠まなかったからである。
まあ結局、哲学的意味も感じられるのだが、それが佐太郎のいう象徴である。ただそこは読者に任されている。そこが詩たらしめているものであろう。
また初句、二句が「・・・がら」と韻を踏んでいるのも見逃せない。こういうのは意識して「作る」ものではなく、口をついて出て来るものだ。
最後に四句で切れ、体言どめ(名詞どめ)になっているのが、緊張感を醸し出している。引きしまっているのだ。ゆったりとした上の句と対照的で、韻律上の「二物衝突」といってよかろう。
先に「冬木」の「後記」を記事に書いたが、この「オホーツク」33首(3部立)ではじまるこの歌集は佐太郎の転機のひとつとなった。斎藤茂吉の弟子でありながら、茂吉とは全く違う作風である。