・生くるとは己の意思の外にある大いなる流れと思う他なし
「星座α」27号より
何のために生きるのか。僕の高校時代に倫理社会でアンケートを実施していた上級生がいた。僕はそのアンケートにこう答えた。
「人間の何のために生きるのか。そんなものに結論はない。寿命まで生きて、死後に明らかになるものだ。生きた結果で初めてわかるものだ。」と。
しかしそれは大変な誤解だった。金のために生きる人もいる(金で幸せが買えると本気で思っている人がいる)。ラインの知り合いを批判したら、「それは貧乏人の理屈だ。」と言われ、即ブロックした。
家族のために生きる人もいる。では単身者は何のために生きるのか。
心の豊かさえを求めて生きる人もいる。だがそういうひとも、生活ための経済的な基盤がなければ生きて行けない。
世の中には、病人も障碍者もいる。生き様(いきよう)は様々ある。
様々あるなかで作者は「自分の意思とはかかわりなく生かされている」と考えている。それも「大いなるもの」に生かされていると。
齢、90を越えて、生きるとは何かを問い続けている作者には脱帽だ。