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日本人のアイデンティティー(「自由主義史観批判、2」)

2015年08月14日 23時59分59秒 | 歴史論・資料
「アイデンティティー」を辞書で引くと、「同一性」「個性」「国・民族への帰属意識」「自己同一性」などの意味がある。かなり難解だが、ここで問題とするのは、「日本人の民族性」つまり、日本人固有の思考傾向を考えてみたい。


 「新しい歴史教科書を作る会」などの、いわゆる「自由主義史観」では、この問題がいとも単純に規定される。「万世一系の天皇制」「『日本書紀』『古事記』の神話」に求められる。だがこれは時代錯誤だ。「皇国史観の復活」と呼んでもいい。思考回路が、戦前のものと同じだ。

 こういう歴史観は、一言で論破出来る。「そういう思考は、明治時代に作られたイデオロギーである」。江戸っ子は、天皇の存在を知らなかった、と言われたことがあったが、そんなことはなかったようだ。だが江戸っ子にとって、江戸幕府の征夷大将軍のほうが、はるかに存在感があったのは確かだ。


 古代末期、天皇制は「荘園制」を経済的基盤とした。しかし中世の「南北朝の乱」「戦国時代」「太閤検地」によって、「荘園制」は、解体した。天皇、公家は領地を失い、武士に領地の安堵をこいねがう立場となった。実態からすると、形式的に残ったという状態に近い。いわば「近世までに消滅した権威だけの形式」とでも言おうか。

 歴史を多少なりともかじった者は、近世(江戸時代)の前の日本人と、近世以降の日本人では、大きな断絶があるのが分かる。一日三食、盆踊り、葬式仏教、島国根性、畳、ふすま、障子の部屋での生活など、現代日本人の生活の基本は、江戸時代に成立した。

 だから「日本人のアイデンティティー」は、江戸時代に成立したと言ってもいいだろう。特に「古典落語」の世界に、日本人のアイデンティティーが顕著に見られるように思う。


 「古典落語」には、「与太郎」が登場する。現在の言葉で言えば、「軽い知的障害」というところだが、「古典落語」の世界に差別はない。「与太郎」は、長屋の衆に迷惑をかけながらも皆に愛され生きている。

 また「茶の湯」「たがや」「禁酒番屋」などの演目には、「長い者には巻かれろ」それと裏腹の「反発心」などの、日本人の特性が出ていると思う。

 「シャボン」の演目には、島国日本の「狭い世界観」が出ている様に思う。

 朝鮮、中国は、インドは、先進国として尊敬の対象だった。(唐、天竺という言葉がそれを示している。)また漢方医薬や漢詩文への尊敬の念もあった。(このことも古典落語の題材となっている。)

 この「アイデンティティー」が、偏狭なナショナリズムと一体化して、歪められたのが、明治時代である。薩長藩閥政府は、死に瀕していた、天皇制を「日本人のアイデンティティー」と設定し、「古事記」「日本書記」の神話を教育に取り入れ、朝鮮、中国への差別意識が、日清・日露戦争のあとの現れる。いずれもそれまでの日本には、全くなかったものが、意図的に設定された。

 「尊王攘夷」の系譜を引く思想、明治政府の正当性を裏付ける政治的意図が強く感じられる。明治専制政府によって作り上げられた、虚構である。


 一つだけ例をあげよう。「建国記念の日」の根拠となった、「神武天皇の即位」は、「古事記」「日本書記」の記述に従って、年代を割り出せば、縄文時代に当たる。「縄文時代」といえば、「新石器時代」。日本列島に住む人間が、金属を知らなかった時代である。日本の「記紀神話」は、天皇の統治権の正当性を強調した、極めて政治的意図の強いものであり、「ギリシャ、ローマの神話」などとは、同じ次元では語れない。

 「天皇制」「記紀神話」に、「日本人のアイデンティティー」を見出すのには、無理があろう。この「作られたアイデンティティー」が、戦争の惨禍を呼び、日本を焦土と化した。そこで「憲法9条」が定められたのである。

 だが「アイデンティティー」は、時代と共に変化する。例えば、「憲法9条」は、戦争を経て、付け加えられた「アイデンティティー」とは、言えまいか。



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