今回の寄稿は「屋良健一郎君へ」というタイトルにした。『短歌研究』の「短歌年鑑」に僕のこのブログが名指しで不本意なレッテルを張られたからその反論と質問を端的にまとめた。400字詰め原稿用紙5枚半。短いが焦点を絞れば今回はこれで十分だった。
論点は3点。
まず、このブログ記事をを「不確かな情報」とレッテルを張った吉川宏志君の「うた新聞」での一文を屋良君はことさらそのまま引用した。このブログは、二重のレッテルを張られたわけでその真意を尋ねた。
次に「(安保法に)賛成か反対かの二項対立」と機械的に断じていることへの批判。「時代に向き合う人々は行動しながら考え、考えながら行動している。それが足掛け三年に及ぶ息の長い運動になっている。これは60年安保にも70年安保にもなかったことだ。
最後。「歌人が政治へのコミットが求められがちな」と書いた。ではどうかかわるつもりなのかを問うた。
発端は東京で開かれた「時代の危機と向き合う短歌」のシンポジウムでの講演内容に関わるこのブログの記事。吉川宏志君がこのブログを名指しで「不確かな情報」と『うた新聞』に唐突に書いたこと。内野光子さんとの紙上論争のなかでのできごとだ。詳しくは『短歌研究』2月号を読んで頂きたい。
時代は危機的状況だ。シンポジウムは「時代の危機と向き合う短歌」だが、僕はむしろ「危機の時代」だと思う。危機なのは「時代」ではなく、日本列島と世界に住んでいる人間だ。海外では「日本でファシストが勢力を伸ばしている」と評されている。香港のドキュメンタリー映画の監督に取材されたことがある。
「日本人がファシズムにどうプロテストするか英語圏では注目している。」
また、沖縄で米軍基地の再編成がおこなわれると中東のテレビ局アルジャジーラが沖縄に取材に来る。沖縄の米軍基地が中東へのアメリカ軍の出撃基地になるからだ。そのかげで軍需産業は巨額な利益をあげている。日本も一部は軍需景気でわいている。これは紛れもなく軍国主義だ。
いま「平成の治安維持法」と呼ばれる「共謀罪」が「テロ等組織犯罪準備罪」というかたちで国会に提出されようとしている。歴史を振り返るなら1925年の治安維持法から、1931年の満州事変まで6年しかない。1941年太平洋戦争、1945年沖縄戦、東京大空襲、原爆投下と続く。
これは「繰り返してはいけない歴史」だ。まさに「危機の時代」だとひしひしと感じる。