集団的自衛権の行使容認の閣議決定、安保法の強行採決、9条改憲の動き。ここに危機感を感じて、ここ数年は、数あるテーマの中から「戦争」を選んでいる。
戦争体験を詠む場合もあるが、現在進行形の戦争も詠む。現在の戦争を詠む場合は自分にいかに引きつけるかが課題となる。
・戦争の気配をたしかに感じたり雪の日に届く新聞記事に
新聞の記事に戦争の予感を感じることがある。防衛費の増強、改憲の動き、自衛隊の海外への派遣。これを一首した。「星座」に発表したものだが、校正の時に尾崎主筆が「その通り」と赤ペンで書きこんであった。
・満州よりの引揚者たりしわが父に報告したきことのいくつか
尾崎主筆は「時事詠」はなかなか認めてくれなかった。作品が新聞の見出しのようになってしまうからだ。だが先師佐太郎の「純粋短歌」には「現代の社会や思想を短歌に盛り込めないというのは不正確な見方である。現代の作家たちはそれをやっている」とある。尾崎主筆にこれを言ったが答えはなかった。「やれるならやって見なさい」と言うことだ。そこで自分に引きつけること、新聞の見出しのようにならないことを考えた。最初は失敗作が多かったが、「短歌」誌上の「角川短歌館」にペンネームで投稿しながら試行錯誤した。そして「星座」に掲載できるほどの作品が詠めるようになった。(このことは別稿で記録しておきたい。)
・戦争は知らないうちに始まると母は言いたりいくたびとなく
母は今年で92歳になるが、戦争体験をよく話してくれる。戦争が如何なるものか言葉で表現する名人でもある。これがその一つ。「大正デモクラシー」の時代に工業学校の教師の家庭に生まれた母は、比較的恵まれた環境でそだった。体は弱かったようだが。その母が言う。「まさか戦争が起こるとは考えてなかった。あっと気づいたら戦争になっていた。」これを作品にした。父が満州よりの引揚者。母も一時朝鮮の釜山に住んでいた。これが戦後生まれの僕の戦争体験である。
この3首を「星座」に発表したときは戦争をテーマにした作品を10首そろえた。その歌稿には尾崎主筆のコメントが書かれていた。「そうですね」「そのとおり」「わたしもそう感じます」。東京大空襲で赤ん坊の焼け焦げの死体をまたいでにげた、尾崎主筆には戦争は他人事ではない。
「時事詠はだめだ」と言いながら、まじめに戦争のことを作品化しようとする僕を見守ってくれたのはありがたい。
ただし歌稿の末尾にはこう書いてあった。
「今月は観念的な歌が多かったですね」一歩間違えれば、感想文になる。何とかそれは回避できた。これが話のオチであろうか。