・とほき彼方の壁の上にはくれなゐの衣を着たるマリア・マグダレナ・
「寒雲」所収。1937年(昭和12年)作。
これは結句がわかりにくいので、茂吉の自註、塚本邦雄の鑑賞から始める。モダニズム的な雰囲気が漂う作品だ。
先ずは「マリア・マグダレナ」。人名、固有名詞だが、塚本邦雄が詳細に書いている。
「紅衣のマグダラのマリア、あのパレスティナ西部、ガラリア湖西岸の町で生まれたマリアとは、各福音書に『7つの悪魔のいでし、マグダラと呼ばるるマリヤ』と記されてゐる女性だが、イエスの生涯の要処要処に現はれて、その聖跡に精彩を加へる。」
「作者(=茂吉)滞欧中、大正13年(=1924年)晩夏から、夫人同伴の『欧羅巴の旅』を試み、目標題の連作『遍歴』に収める。旅は8月20日発、イギリス-オランダ-ドイツ-スイス-イタリア-フランスの順に経巡り、問題のマリアは、10月3日に訪れた北イタリアの古都バドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の壁画中に現はれる。」
「直後の感動は、俄に言葉にはならぬものだ。その時観た壁画中、マグダラのマリアただ一人が、突然、昭和12年(=1937年)晩春の山荘の独坐独想のひととき、あたかも、その山荘中に現はれたかと錯覚するやうな表現を敢へてするほどに生き生きと、作者の目交(まなかひ)に顕つ。」(塚本邦雄著「茂吉秀歌・白桃~のぼり路・百首」)
そう幻のように13年の時を経て、イタリアの壁画のありさまが箱根山中の茂吉の脳裏に浮かんだのである。まさに時間と空間を越えている。茂吉の「写生」がどのようなものであったかが、これでわかる。「アナクレオン」「ショウペンハウエル」の歌を改めて引きあいに出すまでもない。島木赤彦や土屋文明ではこうは詠まないだろう。
そしてこの作品、塚本好みでもある。
「木芽」と題された14首の連作には,眼前の箱根の叙景歌と過去の記憶とが混在する。連作全体が時空を超えているのである。
「この種類の連作をも連作として許容しても好からうといふのがこの連作の特徴であった。」(茂吉「作歌40年」)
この作品の他、過去の記憶に関わったものとしては、次の2首がある。
・北平の城壁くぐりながながと駱駝の連(つら)はあゆみそめ居り・
(「北平」=今の北京・ホクヘイ、ペイピン。茂吉は「ほくへい」と読んでいる。)
・涙いでてシンガポールの日本墓地よぎりて行きしこともおもほゆ・
茂吉の涙腺はゆるかったようだが、現在と過去を混ぜ、気分でつなぐのが、茂吉の弟子筋には伝わらなかった。佐藤佐太郎著「茂吉秀歌・下」も、長沢一作著「斎藤茂吉の秀歌」でも、一連のうち現実の箱根の叙景歌を一首収録しているのみ。佐藤佐太郎のほうは、「マリア・マグダレナ」の歌を紹介のみしている。
塚本と弟子筋との読み方の違いがまことに面白い。