岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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自分の「いびき」を聞きながら眠る歌:佐藤佐太郎の短歌

2012年02月04日 23時59分59秒 | 佐藤佐太郎の短歌を読む
・みづからのいびき聞きつつ眠るなり漸く(やうやく)知りしかかる安けさ・

「群丘」所収。1961年(昭和36年)作。

 先ずは佐太郎の自註から。

「50歳になったころの感慨。自分のいびきを聞くのはわびしくもあり楽しくもある。蘇東玻が『鼻息齁々(こうこう)得自聞』と言ってゐる。やはり老境になってわかる心境だらう。」(「及辰園百首自註」)

 ユーモアではなく、しみじみとした感慨らしい。僕にはその経験がないが、言われてみれば、夢か現かという状態で「聞いた」ことがあるかも知れないと思う。不思議な体験だが、何か朦朧とした意識の中のことであろう。

 自註に「50歳になったころ」とあるが、同時期に次のような作品もある。

・酒飲が放射能に抵抗つよきこと諧謔として言ひたるあはれ・

・わがための火として燃ゆるストーブの青き炎も夜のたのしさ・

・フロイドの境涯ならぬ夢も来よ寝どこにウィスキーのみて灯を消す・

 僕個人としては、こちらの方が秀作だと思うが、「岩波文庫」の「佐藤佐太郎歌集」には収められていない。「群丘」には「行旅自然の作」が多いので、異色のものを入れたのかも知れない。

 いずれにせよ未だ50歳のころだから、本格的に「老い」を感じるには、まだ数年を要する。

 自分のいびきを聞きつつ眠る。何という楽しさだろう。そういえば初老の人はきがつくとうとうとしている。祖父・祖母がそうだったし、父もそうだった。今、母がそうである。

「眠ってばかり。」と嘆くが、「眠りたいときに眠ればいいさ。」と応えてやる。ん?そういう僕もいつの間にかそうなっている。医者が言う。

「眠いときは眠ればいい。」どうやら僕も初老の時期にはいったようだ。気楽なものだが、そういう肩の力の抜けたのが、冒頭の作品のよさかも知れない。

「むしろ一歩下がって、肩の力を抜いて、調べにのせて、うたうべきなのです。」(岡井隆著「歌を創るこころ」)






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