・みづからのいびき聞きつつ眠るなり漸く(やうやく)知りしかかる安けさ・
「群丘」所収。1961年(昭和36年)作。
先ずは佐太郎の自註から。
「50歳になったころの感慨。自分のいびきを聞くのはわびしくもあり楽しくもある。蘇東玻が『鼻息齁々(こうこう)得自聞』と言ってゐる。やはり老境になってわかる心境だらう。」(「及辰園百首自註」)
ユーモアではなく、しみじみとした感慨らしい。僕にはその経験がないが、言われてみれば、夢か現かという状態で「聞いた」ことがあるかも知れないと思う。不思議な体験だが、何か朦朧とした意識の中のことであろう。
自註に「50歳になったころ」とあるが、同時期に次のような作品もある。
・酒飲が放射能に抵抗つよきこと諧謔として言ひたるあはれ・
・わがための火として燃ゆるストーブの青き炎も夜のたのしさ・
・フロイドの境涯ならぬ夢も来よ寝どこにウィスキーのみて灯を消す・
僕個人としては、こちらの方が秀作だと思うが、「岩波文庫」の「佐藤佐太郎歌集」には収められていない。「群丘」には「行旅自然の作」が多いので、異色のものを入れたのかも知れない。
いずれにせよ未だ50歳のころだから、本格的に「老い」を感じるには、まだ数年を要する。
自分のいびきを聞きつつ眠る。何という楽しさだろう。そういえば初老の人はきがつくとうとうとしている。祖父・祖母がそうだったし、父もそうだった。今、母がそうである。
「眠ってばかり。」と嘆くが、「眠りたいときに眠ればいいさ。」と応えてやる。ん?そういう僕もいつの間にかそうなっている。医者が言う。
「眠いときは眠ればいい。」どうやら僕も初老の時期にはいったようだ。気楽なものだが、そういう肩の力の抜けたのが、冒頭の作品のよさかも知れない。
「むしろ一歩下がって、肩の力を抜いて、調べにのせて、うたうべきなのです。」(岡井隆著「歌を創るこころ」)