岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

短歌7首の主題(短歌は文学であり、主題を欠くことは出来ない)

2012年10月06日 23時59分59秒 | 私の短歌論
「星座」誌には「星座フォーラム」という掲載欄があって、短歌のことだけでなく様々な意見が載る。「星座」63号では僕に執筆依頼があったので、短歌に関するエッセイを書いた。その全文をここに公開する。

 :短歌7首の主題: 岩田亨

 短歌関係の総合誌(=角川「短歌」)から原稿依頼が来たのは5月の中旬だった。短歌の新作7首をという依頼内容。

 作品にはストックがあるので、その中より7首選び推敲をすればよいのであるが、ここで少し立ち止まった。

 それは何を主題とするかである。私は短歌を文学と考えている。文学には主題がある。主題なき文学などはない。こう断言できるほど、鑑賞の軸、作歌に当たっての軸は、私の中ですでに明確となっている。

 そこで主題だが、今の私の中で最も関心のある事、心を揺さ振られている事を主題とすることに決めた。

 そうなると東日本大震災を抜きには有り得ないと思った。

 震災を主題とするには躊躇(ためらい)もあった。時事詠だからだ。時事詠と言っても社会の事に取材するのだから、社会詠と呼んだ方が良いかも知れない。

 社会詠には特有の難しさがある。社会の現実に真向かうのだが、下手をすると新聞の見出しの様になってしまう。それでは短歌にする意味がない。

 短歌にする以上、抒情詩である事が要求される。私はこれを、「事実を抒情詩に『昇華』する」と考えているが、この「抒情詩への昇華」が意外と難しい。

 そこで工夫した。色々あるが一つだけ書くと福島の原子力災害を主題とするが、福島という地名は使わない事にした。抒情詩となっていれば、読者に伝わるはずだ。地名を入れると絵葉書的、新聞の見出し的になってしまう。福島という地名を入れずに「フクシマ」を詠む。正直なところこれが大変に難しかった。

 それで出来上った作品の評価は如何に。フェイスブックに同様の投稿をしたら、かの総合誌=商業誌が「いいね」のメッセージを付けてくれた。

 商業誌は、商業つまり商売で出版されている物だから、商業誌の評価が、即、作品の評価ではない。だが当初の目標はほぼ達成せられたと考えてよかろう。

 私の中で社会詠に対する認識が、一段と明確になった。

 試行錯誤の連続だが、こうして徐々に認識は深まって行くに違いない。(終)

             (かまくら春秋社「星座」63号)







最新の画像もっと見る