「星座」誌には「星座フォーラム」という掲載欄があって、短歌のことだけでなく様々な意見が載る。「星座」63号では僕に執筆依頼があったので、短歌に関するエッセイを書いた。その全文をここに公開する。
:短歌7首の主題: 岩田亨
短歌関係の総合誌(=角川「短歌」)から原稿依頼が来たのは5月の中旬だった。短歌の新作7首をという依頼内容。
作品にはストックがあるので、その中より7首選び推敲をすればよいのであるが、ここで少し立ち止まった。
それは何を主題とするかである。私は短歌を文学と考えている。文学には主題がある。主題なき文学などはない。こう断言できるほど、鑑賞の軸、作歌に当たっての軸は、私の中ですでに明確となっている。
そこで主題だが、今の私の中で最も関心のある事、心を揺さ振られている事を主題とすることに決めた。
そうなると東日本大震災を抜きには有り得ないと思った。
震災を主題とするには躊躇(ためらい)もあった。時事詠だからだ。時事詠と言っても社会の事に取材するのだから、社会詠と呼んだ方が良いかも知れない。
社会詠には特有の難しさがある。社会の現実に真向かうのだが、下手をすると新聞の見出しの様になってしまう。それでは短歌にする意味がない。
短歌にする以上、抒情詩である事が要求される。私はこれを、「事実を抒情詩に『昇華』する」と考えているが、この「抒情詩への昇華」が意外と難しい。
そこで工夫した。色々あるが一つだけ書くと福島の原子力災害を主題とするが、福島という地名は使わない事にした。抒情詩となっていれば、読者に伝わるはずだ。地名を入れると絵葉書的、新聞の見出し的になってしまう。福島という地名を入れずに「フクシマ」を詠む。正直なところこれが大変に難しかった。
それで出来上った作品の評価は如何に。フェイスブックに同様の投稿をしたら、かの総合誌=商業誌が「いいね」のメッセージを付けてくれた。
商業誌は、商業つまり商売で出版されている物だから、商業誌の評価が、即、作品の評価ではない。だが当初の目標はほぼ達成せられたと考えてよかろう。
私の中で社会詠に対する認識が、一段と明確になった。
試行錯誤の連続だが、こうして徐々に認識は深まって行くに違いない。(終)
(かまくら春秋社「星座」63号)