「短歌研究」の10月号は「特集:創刊八十周年」だった。創刊八十周年といえば、現代の歌壇の「長老格」の歌人が、まだ10歳に満たない頃に「短歌研究」は創刊されたことになる。誌面の構成は、特別エッセイ5人、特別作品30首2人、新作10首が30人であった。
1.特別エッセイ:5人:
Ⅰ、「短歌研究」と折口信夫の評論:岡野弘彦:
「・・・ここでは、戦後に折口信夫の名で、『短歌研究』に掲載した、三篇の評論について紹介しようと思う。」
「折口はすでに大正15年7月の雑誌『改造』に、著名な論文『歌の円寂する時』を発表している。・・・戦争を体験したいま、短歌に対する厳しい批判論が発表されるさ中で、折口は改めて真の自立した批評家の出現を熱望している。」(1、「短歌研究」昭和22年9月号」)
「(折口は)短歌は発声の段階から祭りの場で即興的に行われる、かけあいの芸能、神楽、田楽、猿楽さらには相撲のようなもので、見ているうちに見物している側の者が興奮して飛び入りして、たやすく玄人になってしまう。もっと文学に近いような歌合でも、観客、素人のない文学だった。・・・戦争前まではそれが日本の世界に誇れる点だと思ってきたが、今後はそういう点を改めるべきだ・・・。」(2、「短歌研究」昭和22年8月号)
「(折口の論は)明治神宮の会場で25年の11月に行った講演を記録したものである。この折口の講演は短い中に与謝野晶子・山川登美子の秀歌をあげ、アララギの第一の失点は女性の歌の伝統を閉塞したところにあると指摘した。」(3、「短歌研究」短歌研究」昭和25年11月号)
Ⅱ、創刊八十周年を祝ひ素志を述ぶ:岡井隆:
「『短歌研究』創刊80周年をお祝ひし、長期にわたって、短歌界を支へて来られた同誌の存在にあらためて感謝申し上げたい。」
「『岩波現代短歌辞典』巻末の『20世紀短歌史年表』(荻原裕幸編)を時代順にみて行くと『短歌研究』が1932年10月、改造社から創刊されて以来、敗戦をはさんで、その発行元をたどるだけでも、変遷して来てゐる。こんなに発行元、あるいは発行者が代り、そのたびに編集者や編集方針が変はった綜合誌は珍しい珍しいともいへる。」
「時代と共に揺れ動くのが、文化、文学のごく普通の姿ではあるが、戦中・敗戦・戦後・もはや戦後でなくなった時代といふ日本史のなかでも、きはめて特異な時代背景のもとに『短歌研究』誌がたどって来た運命は、・・・ジャーナリズム史の上でも珍らしいのではないか。」
「・・・つまり、わたしの接した編集者たちは、文学一般への広い関心と視野をもつ人であった。(この稿のなかで)前衛短歌運動といつたのも、短歌を、従来の結社中心の見方から解放して、時代の浪間に漂はせてはどうかといふ試みだったのかも知れなかった。」
Ⅲ、「短歌研究」の歩みに思う:馬場あき子
「戦後短歌史の中で、『短歌研究』が負った総合誌としての役割は、何といっても昭和28年に斎藤茂吉、釈迢空がつづけて亡くなった大きな空白を、短歌の流れそのものの転換点としていったことであろう。翌年の昭和29年に釈迢空の特集号をもって創刊した『短歌』とは対照的に、春秋2回の『短歌研究新人賞』の前身、新人50首詠を設け、春に中城ふみ子を、秋に寺山修司を歌壇に押し出し、騒然とした論議をまき起こしたことである。」
「昭和31年3月号から5月号にわたって大岡信と塚本邦雄による方法論争を惹起する。」
Ⅳ、創刊前の「短歌研究」:篠弘
「(『短歌研究』の創刊時の)版元の改造社は、大正8年1月の創業。社長山本実彦は新聞ジャーナリスト出身でその6月に『改造』を創刊して言論界のリーダーとなるが、短歌に関心をもつナショナリストの性格をもっていた。」
「同社(=改造社)は歌壇と結びつき、少なからぬ実績を重ねたうえで、初めて本格的な『短歌講座』が企画されたのである。(『短歌講座』の)月報を『短歌研究』と銘打ったのは、その当初から月刊誌『短歌研究』を発刊するという、潜在意識があったからであろう。」
Ⅴ、創刊80年によせて:佐佐木幸綱
Ⅵ、伝へたきこと:永田和宏
(=このうち岡野弘彦、岡井隆、馬場あき子、篠弘は、近現代の短歌史と関連させて筆を進めているが、佐佐木と永田は「個人的回想」を中心にしている。)
2、特別作品30首:
高野公彦「水中伽藍」、栗木京子「歌になることば」。
(=作品・略。)
3、新作10首:
清水房雄、春日真木子、尾崎左永子、小西久二郎、関田史郎、山野井喜美枝、由良琢郎、来嶋靖生、仲宗角、足立敏彦、綾部光芳、山野吾郎、西村尚、千々和久幸、秋葉四郎、前川佐重郎、伊藤一彦、三枝昂之、外塚喬、大島史洋、日高堯子、沖ななも、桑原正紀、阿久津英、島田修三、藤原龍一郎、小島ゆかり、松村由利子、吉川宏志(計30名)。
(=2の「特別作品」にもあてはまるのだが、それぞれ表現方法、語法、仮名遣い、表記が違うが、短歌を「文学」と考え、主外も明確であった。ライトヴァース・ニューウェーヴの歌人達は、これをどう読み、何を考えただろうか。)
やはり「短歌は文学」であり、「主題」も欠かせないということだろうと僕は思ったが如何だろうか。