・湖に見れば陸地は重々し岸の大木のみな影をもつ・
「群丘」所収。1960年(昭和35年)作。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」P116。
佐藤佐太郎の自註がある。
「前年あたりから数年、自動車で遠出することが多くあった。それは私が運転免許をとったからだが、しかし私は技術が不確かだから人に運転してもらうことが多かった。これは霞ヶ浦付近に遊んだときの作で、・・・舟に乗せてもらったのであった。水の上から見ると陸地はいかにも重厚である。これは新しい発見であった。なぜ陸は堅固に見えるのか、考えて見、見て考えるのが私の方法である。そして< 岸の大木のみな影をもつ >と言ったのであった。」(「作歌の足跡-< 海雲 >自註-」)
自註のとおり、下の句の「大木のみな影をもつ」が一首の核心、詩的把握だろう。ここでは「木が影を持つ」という擬人法が活きている。この表現で「陸地の重々さ」が鮮明な景になる。
擬人法・使役・比喩は間接的表現になり易いが、効果的な場合もある。それによって印象がより鮮明になる場合である。
この一首の場合、湖に浮かぶ舟から陸を見るという作者の位置の特殊性も詩の効果をあげる要素となっているように思う。
第5歌集「帰潮」で「純粋短歌」という作歌姿勢を確立した佐太郎は、続く「地表」「群丘」と国内各所で歌を詠むようになる。いわゆる「旅行詠」だが、これが案外難しい。旅行先で見聞きするものは、みな作者にはもの珍しく感じるが、読者にははっきり言えば単なる説明に過ぎないからだ。作者の自己満足に陥ってしまうおそれがある。
斎藤茂吉の第4歌集「遠遊」・第5歌集「遍歴」はヨーロッパ滞在時のものだが、茂吉みずからが「歌日記程度のもの」と言っているくらいだ。
その困難な「旅行詠」に取り組む過程で佐太郎は作歌態度を確固としたものにして行く。「純粋短歌・展開期」(今西幹一)と呼ばれる。