岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

沸騰せるケトルの笛の鳴る音を潮時として受話器を置きぬ

2009年08月02日 12時04分43秒 | 岩田亨の作品紹介
招かれざる客、はやく切りたい電話。こういうものは、よくあるものだ。しかし、「もう切るぞ」とか「もう帰って」とはなかなか言えないもの。そういうときに、色々と理由をつける。

 「お鍋がふいちゃった。」「お客さんが来た。」「ちょっと取り込み中で・・。」など様々な言葉遣い。

 一見ずるそうだが、「やんわりと断る知恵」とも言える。
 そんな場面を一首にしてみた。

 「運河」誌上の選者による「選歌余滴」にとりあげられた作品は、他にもいくつかあったが、これを第一歌集の巻頭4首に入れた。それは、「ケトルの笛」という表現が気に入ったからで、カタカナ語の清涼感が活きていると判断したから。完了の助動詞「ぬ」は余り好まない。なぜなら、やや古風に過ぎる感じがするのと、粘着質的な語感を持つからだ。

 「潮時」という表現も「俗にかたむく」と言われたが、「ケトルの笛」がそれらを十分打ち消しているとおもった。

 案の定、「運河」の「歌集特集」で、注目作としてあげられていた。

 カタカナ語の清涼感を活かす。ただし、「それを支えるものと、工夫がなければ、洒落ただけの作品になる」とは常々指摘されるところ。

 この一首の場合、「潮時」の<俗へのかたむき>と、「ぬ」の<粘着性>が、「ケトル」の語の軽さとのバランスを果たしているのではないかと思う。



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